when I was a child 09 – あたらしい生活

 3月末に岩手県紫波町にある小さな町へ、家族3人、ミニチュアダックス1匹で引っ越しました。住人たちが協力し、美しい景観と暮らしやすい環境を育んでいく「CLASSE」という住宅街です。このエリアでは、宅地内緑化率が10%以上に義務付けられていたり、夜間の防犯性を高めるために住戸の入り口に統一された常夜灯を灯すなど、調和が重んじられた区域です。地形的には盆地で周りには大きな建物もないので、遠方に山々を臨むことができます。窓を開けると東北新幹線の高架があり、風のように新幹線が通り過ぎていきます。意外なほど音も気になりません。一時期戻っていた盛岡の実家も静かなところでしたが、いまのあたらしい住処も落ち着いた場所です。
 東京から故郷へ戻ったのが昨年の三月末ですから、ずいぶん時間はかかってしまいましたが、ようやく家族揃って同じ屋根の下での生活がスタートしました。引っ越し前は、単身赴任のように週末のみが家族の時間だったので、いざ一緒に暮らし始めて、それぞれのリズムを崩さずやっていけるのか密かに懸念していましたが、新しい空間での心地よさもあり、数日間で慣れてきたように思います。仕事の時間、娘とふれあう時間、妻との時間、犬との時間、それぞれにちょうど良い「間」のある生活が自然と少しずつ築かれつつあります。
 スムーズに新しい生活に移行できたことには、娘のみどりの存在がとても大きいものだったと思います。嬉しいことに生後6ヶ月を迎えた娘は、まとまった睡眠時間を私たちに与えてくれます。夜一度寝てしまうと、夜泣きもせず、朝までぐっすり寝てくれる。これだけでも親孝行ですよね。
 このような形で、家族のあたらしい生活がスタートしたのですが、予行練習で二月に家族旅行をしたことが心の準備につながっていたのだなと落ち着きができてあらためて思い直しています。また、そうした予行演習をしてからあたらしい生活に入って、自分の中にある変化が起こりつつあることも実感しているところです。家族を持ち、子どもを持ったことによって明確になってきたことです。

 

 私は環境変化によってだいぶ心が乱されてしまうタイプで、特にこの季節は、どこか”漂う”ような曖昧な心持ちになってしまいます。喜びがある反面、悲しみも多い複雑な人生のイベントが多いからでしょうか。卒園や卒業といった別れがあり、入学などの新しい出会いがあり、ないまぜの感情に振り回されてしまうのです。きっと幼少期や学生の頃に強く刻みこまれた感覚なのでしょうけれども、いまでもあの頃の名残りがあるような気がします。
 このような感覚は成人してからも続いていて、昨年の春、私は散々迷った挙句、18年近く暮らしていた東京から故郷の盛岡に戻ってきたり、今年で言えば、実家から離れて、あたらしい家族の暮らしが始まったり、かたちこそ変われど、この季節には別れとあたらしい出会いがまとまってやってくるようです。こうした季節に起こる異動は何も身体性といった物理的なことだけでなく、物事の捉え方のような心のあり様をも変化させます。それは大小さまざまですが、大きく変わったことのひとつに私が暮らしていた東京への捉え方が挙げられます。
 それは、昨年から出張で岩手、東京を行き来していたことや、新型コロナウイルス「COVID-19」のことだったりいろんな要因はありますが、よくひとりで東京生活を送っていたなと感じる機会が多くなったこと。人の流れの早さや人口密度、良くも悪くもいま住んでいる故郷とは全く異なります。若い頃の私は刺激を求めて、自らその中に飛び込んで行ったわけですが、静寂な故郷と過密で喧騒に満ちた都会を行き来すると、どうにも心がざわざわしてきてしまう。単純な比較論にはしたくないのですが、「豊かに暮らすとはいったいどのようなことなのだろうか」と考えてしまうわけです。
 私は東京で暮らしていた期間、多くのものを得たと思っています。現在でもご一緒させてもらっているクライアントさん、さまざまな領域で活躍している友人たち、都市から受けた感性もその中には含まれています。しかし、「私の場合」という前提ですが、東京での暮らしという面では、いつも”孤独”が付いてまわっていたように思います。ただ、何もその間、常にひとりだった訳ではありません。悩みを聴いてくれる友人もいたし、交際していた方もいましたが、意識は常に好きなことをどのように仕事として確立していくかに向けられていました。つまり、ひとりでいることを良しとして、家族を作りたいとはあまり考えられない状態だったのです。いえ、このような書き方は少し語弊があるかもしれません。どこかで家族を持ちたいと潜在的に感じていたのだと思います。しかし、それと同時に、仕事が確立するまでは結婚や子どもを作ることはできない、とどこかで考えていました。だから、極端に言えば、無意識のうちに、それを建前として結婚や子どもを持つことを先延ばしにしていたような感覚があります。仕事への時間、個人的な制作時間を優先させるなど、自分をまず満足させる為に。

 

 そのような私が、自身の変化に気が付いたのは、2月中旬頃、東京への出張と家族旅行を兼ねて行った時のことでした。ひとりで東京出張する際は、準備や計画をわりと簡単に立てることができますし、現地に行っても困ることは少ない。空いた時間に美術館やギャラリーに行ったりして、とにかく自分の欲求に従って何事も気ままに動くことができます。何だったら時間を持て余すことの方が多い。
 対して子どもがいる家族旅行では、実に様々な下準備が必要です。娘はまだ半年にも満たない幼児ですから綿密にリサーチやスケジュールを組まなければいけません。ホテル側で子どもの受け入れ体制が整っているのか、外出したら泣いた時に周りのお客さんに迷惑がかからない場所であるかどうかを事前に調べたり (大抵のウェブサイトなどには乳児のことは書かれていない)、一日のスケジュールもミルクの時間、オムツ交換など (授乳室やオムツ交換台がない場所も多い)、様々な制限が課されます (私は本当にその一旦を手伝っているだけなので、大部分をこなしている妻に感謝しなければいけません。いつも有り難う)。言うまでもありませんが、ひとりの方が圧倒的に動きやすいのです。
 若い頃だったら、この手間を煩わしく感じたかもしれませんが、家族旅行を通じて、私は全く別の想いに至りました。無事に東京での行程を終えて家族揃って新幹線で盛岡へ戻っている時に、これまで味わったことのない類の多幸感に満たされていることに気づいたのです。もちろん、仕事でも多くの人と協力して、達成した時の幸福感はありました。けれども、家族を通じてこのような幸福感は得たのは初めての経験でした。
 ここうして非日常的な旅を終えて日常に戻ってきた訳ですが、数日後、もうひとつ発見がありました。それは、旅で感じたことを夫婦でもう一度捉え直し、それぞれの視点を交換することで学びの面積を広げることができたことです。それには、この mewl magazine という家族を中心に動いているプロジェクトが大きな役割を担っていたように思います。井手さんに撮影してもらった写真を共有し、それぞれが感じたことを記事にすることで、私は妻が見ていた視点で旅を追体験することができました。点だった旅の体験が、もうひとつ点が増えることで線となり、面として旅という体験から得たものをお互い話すことができた。さらに言い換えれば、自分の物語を、私たち家族の物語にしたとも言えるかもしれません。
 それによって私に起こったことは、過去と現在の自分の違いが明らかとなり、「いま私は何を本当に求めているのか」を知るきっかけになったことです。いま私の中には、自分を優先するのではなく、家族を優先したいという感情が強く働いています。この感情に目覚めるまでかなり遅くなり恥ずかしさを覚えますが、多くの回り道をして、この年齢に至るまで自分の為に時間を費やし、ようやく辿りつきました。父親になった周りの友人知人が言うように、確かに自由は失われはしましたが、家族の力、子どもの力は、東京でのひとり暮らしで感じていた”孤独”をどこかに追いやる力を持っています。
 軽い気持ちで予行演習としての家族旅行のつもりでしたが、家族3人、犬1匹のあたらしい生活に繋がる、思わぬ発見や学びがあったようです。長らく待ち望んでいた暮らしだからこそ、旅で学んだことを継続できるよう一日一日を大切に過ごしていきたい。そして、このあたらしい生活が娘の成長とともに、夫婦の関係性の変化とともにどのようなかたちになっていくのか。また変化があれば、岩手県の小さな町から皆さんにお届けできたらと思っています。

 
 

Text: arata sasaki (佐々木新)
岩手県盛岡市出身。一児の父。東京と岩手の二拠点暮らし。
ブランディング・スタジオ「HITSFAMILY」にて、ブランディング・ディレクター、コピーライターとして働く傍ら、”子どもを通じて世界を捉え直す”「mewl」の編集長を務めています。また、2013年から小説を書き始めて、2016年に小説「わたしとあなたの物語」、2017年に小説「わたしたちと森の物語」を刊行しました。
(HP / Instagram)

Drawing: Yoh Komiyama (小宮山洋)
プロダクトデザイナー。妻は岩手県久慈市出身。
「小宮山洋デザイン事務所」にて日用品のデザインを行う傍ら、ドローイングを描いています。
また、2019年より実験的プロダクトデザインユニット「●.(Q/period)」を土居伸彰、萩原俊矢と結成し活動しています。
(HP / Instagram)

 

 

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