when I was a child 08 – みんなの子ども、コミュニティのかたち

 このエッセイの扉絵となるドローイングは、プロダクトデザイナー小宮山洋さんによるもので、いつもオーダーする際は、いくつかのテーマに絞りこみ、そこから選んでもらうかたちで「抽象的に描いてください」とお願いしています。面白いのはいつも上がってくると、私の中であたらしい視点が生まれること。テキストを渡してドローイングが上がってくるまで結構“間がある”ということも関係しているかもしれませんが、自分から生まれたテキストが小宮山さんの世界を見る視点を通じて絵になって戻ってくると、不思議にこれまで気付かなかった考え方がまとまってきたり、突然違う側面が顔を出してきたり、加筆や修正をしたいという欲求が強く働きます。
 きっと、わかりやすい直接的すぎる表現の絵だったのなら、あまりこのような感覚は生まれないのかもしれないと思っています (もちろん、記事によってその目的は異なるのですが、このエッセイでは少なくとも抽象度を高く保ちたい)。なぜなら、小宮山さんのドローイングには、見る人によっていろいろな答えが発見できるような開かれたアート的視点が含まれているからだと私はとらえています。
 私はこのようなアート的視点、「新しい視点で物事に自分らしい意味を見出す」という考え方を「子育て」や「教育」に潜ませていきたいという想いがあります。簡単に答えを導き出したい、結果をすぐ出したい、という社会に広まっている考え方とは真逆かもしれませんが、人としての幅や深みを生み出していくためにとても大切な要素なのではと思っています。子どもに向き合うには (もちろん大人に対しても)、じっくり焦らず、時間をかけて発見する“余白の部分”を大事にしていきたい。
 また、子どもと一緒に成長することは必ずしも光の部分=楽しいことだけでなく、影の部分=辛いこともあることを自分の子育てや周囲の家族とお話しをすることでわかってきたということもあります。家族を作ることは、最も近い他者 (夫婦)や子どもと向き合い、結果、鏡のように自分の影となるような弱点にも否応なく向き合っていくことのように思います。どのようにしたら人間として、親として、子どもと一緒に成長していけるのか。自己探求から、問題提起、想像力を働かせて、いざ動いてみるまで、その過程がアート的なプロセスを経ていくと、結構クリアになって解決へ向かっていくような気がします。私たち夫婦もそのような方法を利用して、重たいテーマでも、逃げずに少しずつ自分たちらしい家族のかたちを「ああでもない、こうでもない」と話し合いながら築いているところです。

 

 さて、少しずつ私たち親の意識が変化する中、娘の緑はもう生後5ヶ月となって、日々たくましくなってきています。この一ヶ月あまりの成長の中で身体的に一番大きいのは、完全に首が据わったことでしょうか。うつぶせにすると自分で頭を持ち上げるようになり、よく顔を動かすようになりました。首や背中の筋肉が発達してきたので、背もたれがあれば座れるようにもなり、寝転がった状態から手を貸せば反転することもできそうな勢いです。
 また、首が据わったことで、私たち夫婦の声に注意深く耳を傾けていることを手にとるようにわかるようになりました。もちろん、これまでも話しかけると耳を澄ましている反応が見られましたが、首が据わったことで声のする方にすっと素早く顔を向けるようになったのです。私たち夫婦が娘を囲むように左右に別れて会話をしていると、わかりやすくその仕草があらわれます。「何を話している?」という顔をして、賢明に私たちの言葉や表情から窺い知ろうとしているように見受けられます。会話に混じりたいのか言葉にならない声をあげたり、何を話しているかわかない、というような時には、怪訝そうな表情もするようになりました。少しずつ感情表現も豊かになってきたように思います。
 もう一つ大きな変化としては、社会的微笑みのようなものはまだあるものの身体を大きく揺さぶると、大きな声を上げて喜ぶようになったことです。嬉しいことに、緑はその揺さぶりを期待していて、「もっと揺さぶって」とでも言いたげな笑い声をあげます。外からの刺激に反応する、という点では社会的微笑みと仕組みは似ていますが、そこにはこれから起こる期待が混じっていて、「模倣=真似っこ」とは異なる笑いが現れるようになりました。「みらい」に対する期待というのは、その場を本当に楽しんでいる証であり、この一ヶ月の中で個人的には一番嬉しい変化だったかもしれません。

 

 こうして日々成長して、人としてできることが増えていっている娘ですが、最近、原因不明のギャン泣きが少しずつ増えてきました。先日などはミルクをあげていたのですが、緑がむせたので、哺乳瓶を口から外すと大声で泣いてしまうことに。こうした経験は一度ではないので、再びあやしながら哺乳瓶の先を口に当てても全く含もうとせず、大声で泣き続けてしまうのです。食欲旺盛ということもあって、いつもならすぐに飲み始めるのですが─そういった素振りはありません。対処法もわからない私はどうすることもできず、妻がおっぱいをあげることでようやく泣き止みました (子どもにとっておっぱいは魔法のようですね)。
 お腹が空いていたということはあるのでしょうけれども、勢いよく飲んでいたミルクを飲まずに泣き続けてしまったことがショックで、頭の中でぐるぐると原因を探ってみましたが結局わかりませんでした。これほど大きなギャン泣きを体感したのは初めただったので、後日、その対処方法を検索してみると、色々と対処方法があること、そして、原因不明なこともあるのだと知りました。
 対処法については多くのサイトで取り上げているので、そちらに譲るとして、このエッセイでは育児にかかるストレスをどのよう回避したり、軽減させていくべきなのかについて考えたいと思います。というのも、子どもに触れて多くの喜びがあるのは事実ですが、このようなギャン泣きがずっと続けば、相当のストレスがかかるのではないかと感じたからです (私は本当にその一端を担っているだけで、娘とより長い時間一緒にいる妻は、喜びの時間も多い反面、ストレスも受けやすい立場にあるのだと思います)。
 もしかすると、泣かれるのが恐ろしくて、赤ちゃんに苦手意識する持ってしまう人もいるかもしれません。そのような精神状態になると、やはり子どもとも距離が生まれてしまう。ニュースなどで流れてくる子どもに対する痛ましい虐待やネグレクトを減らすには、大人からしたら理に適っていない理不尽とも言える子どもの行為をどのように受け止めて対処していくのか、ということを考えるのも大切なのではないかなと思います。
 そして、このテーマに対する向き合い方は、アーティストが社会と向き合い、人々の振る舞いやシステムの問題などに疑問を持ち、「どういうことなのだろうか」ということから人々に問題提起し、解決への意識が高まる過程に学ぶべきことがあるのかもしれません。

 

 このようなアート的視点で問題を捉えていくと、問いかけのようなかたちで状況をオープンにしてしまうということも考えられるかと思います。もちろん、理不尽とも言える子どもの反応に対して、何を望んでいるのかという想像力を持って向き合うということはとても大切なことだと思いますが、その一方で、ひとりの人間の許容範囲に (愛情を持っていれば何とでもなるという属人的なことに) 頼るだけでなく、そうならない為の環境を考えていく。アーティストが鑑賞者からの解釈が加わることでアートが成立するように、オープンに投げかけることで、発信する側も受け取る側もそれぞれの答えを両方ともに発見していくような、アート的な関係性から学べるのではないか、と。
 また、私が、アートのテーマとして非常に重要だととらえている「私とは何か」という自己探求プロセスから着想を得て意識/実践しようと思っているは、娘の緑を「私たちだけの子ども」という考え方ではなく(もちろん最終的な責任は私たち夫婦が取るのですが)、今後成長するにあたって、「みんなの子ども」というようなパブリックな感覚で、家族だけでなく所属するコミュニティの中でオープンな存在にしていこうと考えていることです。
 小さな頃から周りの近しいコミュニティの方々に知ってもらい、触れてもらうことで、一緒にその成長を体験してもらえたら嬉しい、と (鏡のように周りの大人にも学びがあれば尚良いですが)。これは娘にとって、親だけでない、外の、世代を越えた多様な関係性の中で自分のさまざまな側面を知り、「私とは何か」というひとつの答えで収まりきらない、開かれた多様な答えを、成長に応じて自分の力で見出していくという意味で価値があることだと考えています。人間とアート作品を同列に比べることはできませんが、人もまた決してひとりでこの問いを見つけることはできないので、周りの環境はなおさら大切だなと。
 もちろん、とても小さな子どもは抗体が作られていないので、最初は周囲に信頼に足る、柔らかく豊かな感性を持った大人たちがいることが必須条件かもしれません。無闇にオープンにすると、立ち直れないくらい深く傷を負ってきてしまうリスクもあります。大切なことは、やはり見守るべき私たち大人が人や物事の本質を見極める目利きになることかもしれません。
 私たち夫婦の場合は、故郷である地方で子育てをすることに決めて、探求とレポートのようなかたちで皆さんと「子どもを持つとはどういうことか」ということを共有していく為に、この mewl を始めたという側面があるのですが、この活動を始めたことによって、ある偶然の出会いがあり、コミュニティとしての繋がりを大切にした、新しい暮らしのかたちを提案する住宅街に住むことになりました。住人が協力して、美しい景観と暮らしやすい環境を育むまちの一角での暮らしです。
 このコミュニティでは、信頼できる「くらしすた不動産さん」の呼びかけで血縁関係でもない住人が家屋が建てられる前に集まり、親交を深めるところからスタートしています。共同の庭が作られ、一緒に植物や食べ物を育てたり、バーベキューをすることも予定されています。春からスタートするコミュニティなので、まだどのようなかたちになるかわからないのですが、地方で子育てをする中で、どのようにしたら自分たちが望む環境でストレスなく子どもを育てていけるのか、家族が築かれていくのか、仕事がなされるのか、世帯や家族同士が分断されゆく個の時代だからこそ、”アート的な視点を通じて”、新たな可能性を持ったコミュニティから得られる学びをお伝えできるのではないかと思っています。

 
 

Text: arata sasaki (佐々木新)
岩手県盛岡市出身。一児の父。東京と岩手の二拠点暮らし。
ブランディング・スタジオ「HITSFAMILY」にて、ブランド・アイデンティティ・ディレクター、コピーライターとして働く傍ら、最新のアート/デザインを紹介するウェブマガジン「HITSPAPER」や”子どもを通じて世界を捉え直す”「mewl」の編集長を務めています。また、2013年から小説を書き始めて、2016年に小説「わたしとあなたの物語」、2017年に小説「わたしたちと森の物語」を刊行。それらに併せて、言葉と視覚表現の関係性をテーマにした展示を行っています。
(HP / Instagram)

Drawing: Yoh Komiyama (小宮山洋)
プロダクトデザイナー。妻は岩手県久慈市出身。
「小宮山洋デザイン事務所」にて日用品のデザインを行う傍ら、ドローイングを描いています。
また、2019年より実験的プロダクトデザインユニット「●.(Q/period)」を土居伸彰、萩原俊矢と結成し活動しています。
(HP / Instagram)

 

 

when I was a child 01 – あらたな生命を知る
when I was a child 02 – 絵本の記憶
when I was a child 03 – 夫婦のかたち
when I was a child 04 – 育児で織りなす育児日記
when I was a child 05 – 今、生まれしみどり児
when I was a child 06 – 宗教と私
when I was a child 07 – 私たちは一体どこから来てどこに向かうのか
when I was a child 08 – みんなの子ども
when I was a child 09 – あたらしい生活
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