実家にいる妻から出産のサインを受け取ったのは、予定日よりも一週間ほど早い九月中頃の日曜日の朝のことでした。子宮頚部が広がることによって流れ出る「おしるし」として陣痛のはじまりを知ったのです。ただこれには個人差があって、すぐに出産という流れになるとは限らず、遅い人だとそのサインから一週間後の出産となる人も多いようです。
そのような訳で、その報告を受けて一応身構えたものの、産婦人科から少し様子を見ましょう、と告げられたこともあり、出産はもう少し先になるだろうと私は考えていました。前日、とある事情で妻が走っていたこともあって (妊婦なみなさん決して真似をしないように)、そのような元気な妊婦がまさかすぐ出産体制に入るとは、その時の私は思ってもいなかったのです。
その翌日は敬老の日で、私は朝から日課であるランニングをしようと外に出ていました。心地よい秋晴れの中、走り始めたのですが、数分後、義母から (妻は自分の実家にいる) 連絡が入りました。「強い陣痛が始まっていて、これから産婦人科に連れていく、自分のお産の経験からおそらく本日中に出産するのではないか」という内容でした。前日の夕方頃から連絡がなかったので心配はしていたのですが、真夜中に始まった弱い腹痛が明け方になるにつれてどんどん強い陣痛に変わっていったようです。
前日の様子から出産まではもう少し時間がかかるだろう、と予想していたので驚きましたが、とにかくランニングを中止して産婦人科に向かうことにしました。妻が通っている産婦人科まで車で一時間ほどかかります。ですから、その車内でずいぶんやきもきとした記憶があります。というのも、向かっている途中、予想よりも早く、午前中には産まれてしまうかもしれないと急遽伝えられたからです。
急いで行ったのですが、出産は思ったよりも早く、最初の娘の産声が発せられたのは、私が産婦人科の駐車場に入った頃でした。娘は母胎の中にいるのに飽きて、きっと早々に世界を知りたかったのではないか、と私は思っています。
真っ赤な新生児 (赤ん坊というのは本当に生まれたての肌が赤いのですね) が分娩室から出てきた第一印象は、本当にこの子が自分の子どもなのか、という現実感が伴わないものでした。きっと妻は長い間、胎内にいる子どもと一緒に過ごしてきましたし、強烈な痛みがあったのでそのようなことは思わないのでしょうけれども、父親というのは身体的に出産後までその存在を実感できないので (せいぜい妻のお腹を触って胎児が蹴り返してくるのを感じるくらい)、感情や認識が全く追いつかないのです。
そのような訳で妻のいる分娩室に入った時、私は地から数センチメートル浮いているような浮遊感と戸惑いが混じりあった不思議な感覚に陥っていました。ただ、呆然としているようでありながら、何か未知のものに遭遇した時のような高揚感もあります。
ようやく無事に出産が終わったことを現実として把握し、社会的にも父親になったと感じたのは、同じベッドで妻と子に、実際、自分の手で触れたのが最初でしょう。その時、彼女たちは満身創痍のように見えましたが、顔には人生における大切な儀式を二人で成し遂げたような達成感で溢れていました。母と子によるある種の生命の超克を見たような、疲れきってはいるのですが、その表情が輝いていて、とても美しいのです。その瞬間にしか世界に留まることを許さないような美しさとでも言うのでしょうか。きっとこの瞬間の母親と子で醜い人はいない。と同時に、この瞬間のことは、出産をする当事者を客観的に捉えることができるパートナーがもっと社会に大きく伝えるべきことだと思います。少なくとも私は、娘が言葉を理解するようになったら、その時の空間、光、音、表情を伝えてあげよう、と思っています。
子どもが誕生して、親がやらなければいけないことは多いのですが、まず名を授けるという大きな仕事が待ち受けています (出生届の時に名前を付けていた方が、何かとその後の諸々が楽になる)。人それぞれだと思いますが、私たち夫婦は事前に子どもの名前を決めていませんでした。というよりも決めかねていました。
もちろんいくつか候補はあったのですが、私と妻の中で意見が割れて、腫れ物にさわるようなあまり触れてはいけないような話題になっていたのです。それで何となく、子どもの顔を実際見るまでは一旦お預けという形になっていました。
そうした中で、二人とも良い言葉だなと思っていたのが「緑 (みどり)」でした。この言葉は日本に住んでいれば日常的によく聴くものですが、あらためてその意味やイメージを捉え直すとシンプルで美しいものに感じられます。”瑞々しさ”、”調和”、”中庸”など、穏やかで人を癒したり、融合させるイメージを持ちながら、ポジティブで人を前進させる力を持っている。名を表す漢字を見て、すぐ読めないものにはしたくありませんでしたし、流行を意識しすぎて、娘が年齢を重ねて恥をかくような名にはしたくなかったので、私たちにとってはこれほど相応しいものはないように思えました。
実を言うと、こうした日常的な言葉から、私たちなりにその美しさを見出したのは、以前のエッセイで書いた婦人乃友社による『育児日記』を発見したことが大きいです。確か出産の数週間前くらいのことですが、内心、いくつか挙がっていた候補にしっくりきていなかった私は、一日数時間さまざな本を読んだり、辞典を見たりして、出会うべき言葉を探していました。しかし、不思議なものでこういう時に限って良い言葉に出会うことはできません。意識しすぎると逃げていくというか、きっと焦って見落としていたのでしょう。
『育児日記』を両親の書架から発見したのは、そのような意識が薄い時で、単純に好奇心から手にとったものでした。ですから、冒頭で羽仁もと子の美しいエッセイ『みどりごの心』に出くわした時は、何か頭を鈍器で殴られたような文字通りの衝撃を受けました。出産したばかりの親たちにかける言葉といえば、柔らかい物言いのイメージが強かったのですが、このエッセイは生まれてくる子どもの生命、そのものに目を向けた非常に強度が高いものでした。素晴らしいエッセイなのでご紹介します。
『今、生まれしみどり児』
めでたきものは今、世に来たりしみどり児。
大いなるものの創造のみ手をはなれて遠からじ。
父に似し母に似し兄に姉にとささめく前に、新しき生命に現われている神のみ業をみつめよう。
みどり児のめでたさは、その絶対の独自さである。
親やこの世の型の外にあふれているその輝く自由さである。
絶対に自由な生命、独自なる生命、それが親々の生を通してこの世にあらわれて来た光栄を思おう。
親に人に私たちの見なれた型は、みどり児の新しい生命の外側に深く刻みつけられている。
私たちはそれを見て、あまり喜んだり悲しんだりすることをやめよう。
今、生まれしみどり児の内なる光はめでたいものである。
絶対にめでたいものである。
(羽仁もと子 『みどりごの心』より)
稲妻に打たれたようなインスピレーションを得た私は、まずタイトルでもある「みどり児」という言葉を調べました。聴いたことはありましたが、私たちの世代では日常的に生まれたての新生児をこの言葉で呼ぶことは少なくなっています。辞書には「新芽のような子」とあり、現在は「嬰児」、古くは「緑児」という漢字が使用されていたことが記されていました。”嬰”は素敵な漢字ですが、すぐに読めるかという点が難しく、次代へと紡いでいくという意味が込められた”糸偏”を含む「緑」が俎上にあがってきました。
これはまだ妻にも伝えていないことですが、出産したすぐ後、妻と娘が分娩室のベッドで仲良く横になっている時、妻から「この子の名は”緑”がいいよね?」と尋ねられたこと、私には非常に嬉しい瞬間でした。子どもの顔と見比べて「緑」という言葉を聴くと、その名がすっと胸に広がって浸透していくような、とても新鮮で、それでいて、どこか懐かしい感覚になったのです。
”名がどのようにつけられたのか”、娘が大きくなって伝えた時、果たしてどのような反応をするのか、親として楽しみのひとつになりそうです。
Text: arata sasaki (佐々木新)
岩手県盛岡市出身。一児の父。東京と岩手の二拠点暮らし。
ブランディング・スタジオ「HITSFAMILY」にて、ブランド・アイデンティティ・ディレクター、コピーライターとして働く傍ら、最新のアート/デザインを紹介するウェブマガジン「HITSPAPER」や”子どもを通じて世界を捉え直す”「mewl」の編集長を務めています。
また、2013年から散文を書き始めて、2016年に小説「わたしとあなたの物語」、2017年に小説「わたしたちと森の物語」を刊行。それらに併せて、言葉と視覚表現の関係性をテーマにした展示を行っています。
(HP / Instagram)
Drawing: Yoh Komiyama (小宮山洋)
プロダクトデザイナー。妻は岩手県久慈市出身。
「小宮山洋デザイン事務所」にて日用品のデザインを行う傍ら、ドローイングを描いています。
また、2019年より実験的プロダクトデザインユニット「●.(Q/period)」を土居伸彰、萩原俊矢と結成し活動しています。
(HP / Instagram)
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