when I was a child 07 – 私たちはどこから来てどこに向かうのか

 早いもので娘が誕生して三ヶ月が過ぎ、嬉しい変化がいくつか起こり始めています。体重が増え、乳児らしいふっくらとした (特に頬が!) 身体つきになったことも少なくない変化ですが、何と言っても親として嬉しいのは視覚が格段に発達したこと。新生児の頃はまだぼんやりとしか見えていなかったようですが、最近では顔を近づけると”ニコリ”と微笑みを返すようになりました。最初のうちこそ筋肉の緊張と弛緩によって、偶然そのような表情に見える、というような曖昧なものでしたが、少しずつ声に出してはっきりと笑うようになってきています。
 この時期の乳児の微笑みを「社会的微笑」と言うらしいです。近づいてくる顔や母親の声に反応して、乳児もそれを「模倣=真似っこ」するという仕組みなのだとか。もう少し成長すると、人を判別して心を許した人以外は本能的に警戒心を抱くようになるらしいので (いわゆる人見知り)、ある一定期間にしか起こらない貴重な微笑みと言えるかもしれません。
 子どもが産まれて気づいたのですが「笑う」と言うのは、人としてとても高度なことなのですね。赤ちゃんが最初にあらわす (新生児の頃) の感情表現は、おっぱいを飲みたいとか、不快であるとか、不満をあらわすことですから、親として最初の微笑みを見た瞬間はとても嬉しくなるものです。(そして、その微笑みを見る為に必死になって努力する)

 微笑みが後天的 (生まれた後) に獲得されるものであるのか、先天的 (人としてすでにプログラムされている) にDNAに組み込まれているのか諸説ある (あるいは両方とも混じっている) とは思うのですが、妻と娘の関係性を見る限り、私的には最初は「真似っこ」として微笑んでいたものが、喜ぶという感情に紐付けられていくようなプロセスに感じます。私たちが娘に微笑むことで、娘も微笑む、そしてそれを見た私たちもさらに喜んで微笑む、というような循環。専門の学者ではないので詳しくは分かりませんが、微笑みという反応が社会的に獲得されるものであるならば、喜びが循環することで、嬉しい時はこのような表情をするものだ、と刷り込まれていくのかもしれません。

 こうしたことを考えると、小さな子どもはまず「真似っこ」からスタートするので、手本となる大人たちの責任はとても大きいのだなと感じます。子どもにどのように笑いかけるのか、どのような言葉をかけるのか、どのような反応をするのか、本人に直接働きかけること以外にも、周囲にいる人、夫婦や親族などがそれぞれどう関わり合って、どのような言葉や行動をしているのか。言葉もまだ話せないし、ひとりで起き上がれない小さな子どもは五感すべてを使って、それらを当たり前のものとして「真似っこ」し、自身の行動に反映させていく。
 娘にだけ良い顔をしてもどこかで敏感に感じているでしょうから、妻との関係性、お互いどのようなことを話して、どのような行動をするのかを気をつけなければいけないなと(もちろん自然にそうしていれば尚良いことですが)。そのようなことを想いながら自分の幼少の頃の記憶を探ると、やはり両親の言葉使いや振る舞いがいまの私のベースになっているなと感じます。
 最近ではそうしたことを意識しながら娘に声をかけたり、スキンシップをしているのですが、ベッドで寝ている娘に声をかけると、彼女は私の言葉に真剣に耳を傾けます。そして、私が話しかけた後、ダンスを踊るかのように手足を必死にバタバタさせる。ときおり言葉にならない短い動物のような声も発します。まるで何か伝えたいことがあるけれども、まだじゅうぶんに伝える手段が見つからないから、ダンスをしているような感じ。
 オノマトペ (*1) や表情の変化がわかりやすい (「いないいないばあ」のような) 絵本を中心に読み聞かせする時期がきたようです。「真似っこ」として始まり、やがて、自分なりの表現にどう変わっていくのか、その過程が見られるのは親としても嬉しいこと。微笑み一つとってもその人らしさがある。「こんなことであなたは笑っていたのだよ」と、娘が大きくなった時に、その変わり目を伝えてあげたいと思っています。
 こうして娘の成長を書き留めているのですが、どうしてもライフステージの一つの段階として、書いておかなければいけないことがあります。それは、祖母や両親の衰えを生活の中でつくづく目にするようになってきたということ。もちろん、このエッセイでは「子どもをテーマに取りあげていく」ということを大前提にしていますが、子どものことを考えるということは、その周囲の人々、子どもたちを取り巻く環境もしっかり捉えていくことが大切だと思っています。子どもが成長するということは、当然のことながら、私たち大人も年齢を重ねることであり、その変化が目に見えて著しくあらわれるのが曾祖父母は祖父母の世代です。
 私がもう少し早く結婚をして、子育てをしていたならば、祖父母や両親もまだ若く、身体や体力の衰えを気にしなかったかもしれませんが晩婚だった為、望むような環境を生み出すのが遅くなってしまいました。家族のことですからあまり公にはできませんが、娘の曾祖母や祖母(私から見た両親や祖父母)は肉体的な衰えがあり、昨年(2019年)は特にその傾向を感じずにはいられない年でした。
 私がいまこうして生きているのは、大きな生命の循環の中で、両親が出会い、私を産み育てたというれっきとした事実があり、さらにさかのぼると祖先がこの世界で生き抜いてきたから。単純に祖父母と娘を触れ合わせて互いに喜ばせたいということもありますが、生命の連綿とした繋がり、重なり (あるいは単純に歴史と言っても良いかもしれません) によって、今の私たちが存在している、ということを子どもたちには知って欲しいと最近強く感じるようになりました。
 私の幼かった頃は周囲に、元気な祖父母がいました。一緒に住んでいた訳ではありませんでしたが、近くに (隣の隣) 住んでいて、何度も遊びに行ったものです。祖父母は孫である私にいつも優しくしてくれました。もちろん両親も優しかったのですが、怒られた時は、祖父母に甘えることもできたのです。そうした抜け道のような人がいることを身を持って学んだような気がしますし、戦争を体験した祖父母の話も貴重でした。
 そうした学びの中で一番大きかったことは、自分がこのように生きているのは、祖父と祖母が出会って (自分の親にあたる) 子どもを産み育てた、という紛れもない事実です。偶然が偶然を呼び、まさに奇跡のような形で人が重なり、今の私がこうしてここに居る、というのが何だか不思議な気がしたことをよく覚えています。
 私が小学生、中学生の頃に祖父母は亡くなったのですが、おそらくそのような巡り合わせが記憶もない乳児や幼児だったのなら、”生命の循環”や”生命の重なり”をあまり深く考えなかったのではないかな、とも思います。絵本や童話などの物語を通じて何となく漠然と知っていたものの、「私たちは一体どこから来てどこに向かうのか」という問いを、他人ごとではなく、実感として最初に意識したのはその頃だったでしょう。
 もちろん、この問いかけを娘にぶつけるのはだいぶ先の話になると思います。でも、生きていればすべての人にやってくる、避けては通れないことだからこそ、娘には曾祖父母や祖父母に触れる時間を少しでも多くして、そこから喜びや悲しみを見出して欲しいと思っています。社会で当たり前として喧伝されていることをうのみにせず、「私たちは一体どこから来てどこに向かうのか」、その問いかけを常に持ちながら自分らしく生きて行くにあたって、曾祖父母や祖父母から学ぶべきことはとても大きい。幼少期の学びから私はそのようなことを感じています。時は戻せないからなおさらのこと。

 

*1 オノマトペ:
心臓の音「ドキドキ」や羊の鳴き声「メーメー」など、自然界の音・声、物事の状態や動きなどを音(おん)で象徴的に表した言葉。

 

Text: arata sasaki (佐々木新)
岩手県盛岡市出身。一児の父。東京と岩手の二拠点暮らし。
ブランディング・スタジオ「HITSFAMILY」にて、ブランド・アイデンティティ・ディレクター、コピーライターとして働く傍ら、最新のアート/デザインを紹介するウェブマガジン「HITSPAPER」や”子どもを通じて世界を捉え直す”「mewl」の編集長を務めています。また、2013年から小説を書き始めて、2016年に小説「わたしとあなたの物語」、2017年に小説「わたしたちと森の物語」を刊行。それらに併せて、言葉と視覚表現の関係性をテーマにした展示を行っています。
(HP / Instagram)

Drawing: Yoh Komiyama (小宮山洋)
プロダクトデザイナー。妻は岩手県久慈市出身。
「小宮山洋デザイン事務所」にて日用品のデザインを行う傍ら、ドローイングを描いています。
また、2019年より実験的プロダクトデザインユニット「●.(Q/period)」を土居伸彰、萩原俊矢と結成し活動しています。
(HP / Instagram)

 

 

when I was a child 01 – あらたな生命を知る
when I was a child 02 – 絵本の記憶
when I was a child 03 – 夫婦のかたち
when I was a child 04 – 育児で織りなす育児日記
when I was a child 05 – 今、生まれしみどり児
when I was a child 06 – 宗教と私
when I was a child 07 – 私たちは一体どこから来てどこに向かうのか
when I was a child 08 – みんなの子ども
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