when I was a child 04 – 親子で織りなす育児日記

 実家の納戸には、両親の書架があり、最近その中から婦人之友社から発刊されている「育児日記」を発見しました。どうやら僕が生まれる少し前に、両親がお世話になった方から贈られたもので、表紙を開けると、古い書物の独特な匂いと共に、オオルリが撮影されたポストカード(裏面には贈り主からの挨拶が記されている)と、母の手書きで「お母さんは いっぱいの文字で埋めて 今度はあなたに(僕のこと)プレゼントします」という言葉が添えられていました。
 母が「育児日記」を綴っていたことは耳にしたことがありましたが、実際、手にとって読んだのは初めてのこと。母は冒頭の宣言通りに、僕の0~3歳までの成長をこと細かく綴っていました。離乳食の具体的な好み、湿疹が出たこと、階段から転げ落ちたこと、便が数日間出なかったこと。ひとつひとつはとても些細な内容ですが、そこには、子育てという営みに初めて直面する両親の戸惑い、興奮、反省、学び、どのような眼差しで子どもを見守っていたのかが、ある時は直接的に、ある時は透けて見えてきました。
 現在の「育児日記」がどのような構成かわかりませんが、母の時代の日記には、週ごとに成長過程に関する質問が投げかけられています。たとえば、2歳第1週目のページには、「土ふまずができはじめましたか?」や「道を歩くとき おんぶしてとかだっこしてとかいいますか? そのときはどうしていますか?」のように、筆が進むような質問項目がいくつか用意されています。忙しい子育ての中で、日記を書くのはかなり根気がいること。書き出しの導入という意味でも、出版社からの細やかな配慮がなされているように感じました。
 そして、「育児日記」で素晴らしいのは、ときおり、子育てに関する、美しい詩のようなエッセイが章の節目で現れることです。母は本が好きで、気に入った言葉を発見すると、鉛筆でアンダーラインを引く癖があるのですが (これによって母が共感した言葉を僕が本を通じて、数十年後に追うことになります)、この「育児日記」にもいくつか線が引かれています。その中からひとつのエッセイをご紹介します。

 

 『おさなごを発見せよ』
 どうすれば子供たちが真面目に育つか、その真面目な人格を基礎として、更にその中に自由自在に目のきく働きのある頭脳が出来てゆくのか、縦にも横にも強くはたらく実行が生まれてくるか。
 それはたゞ、子供自身がその生命の中に、自分の生命を護り育てるために、なくてはならない強い賢い力を授かっているものであることを確信して、赤坊の泣き方にも幼児のまわらぬ口にそのおさない思いを語る時にも、それらによって、ほんとうに彼を知ることが第一です。あらゆる教育の工夫は皆そこから出て来ます。われわれの幼児の教育も養育もこの趣意によって一貫されていることを忘れないようにしましょう。(羽仁もと子の著作集「教育30年」より)

 

 婦人之友社の創始者でもある、羽仁もと子の著作集「教育30年」から引用されているものですが、僕も子育てをする立場とになり、何故、母がこのような言葉に惹かれてラインをひいたのか、今ではよくわかるようになりました。羽仁もと子の言葉には、子どもへの深い愛情とそこから漏れる優しい眼差しの中にも、人間の生命の根源に迫る、ある種の客観的で冷静な視点が潜んでいるように感じます。愛情に溺れず、しっかりとその子の本質を見ていくような視点。幼子に対する「可愛い、可愛い」というはしゃぐだけの反応に留まらず、鏡のように自身の学びに変えていくことで、親と子の相互作用が起こっていくような、「人間を知る」という思想が根底に流れていると感じました。人を愛することとは何か、人の強さや弱さとは何か、子どもを育てるとはどのようなことか、子どもを通じて大人が人という生物を学んでいく。
 そのような「育児日記」の思想を受けて、母がどのように受け取って子育てをしていたのか、2歳の誕生日に書かれた、日記の中で見てとったような気がします。

 

 『満2才の誕生日を迎えて』
 もう2才のお誕生日を迎える時がきたのかと、過ぎていったあっという間の二年間を思います。( ─ 中略 ─ ) いつの日か私達の傍から自立して巣立っていけることを目標に、小さなたゆまない努力の積み重ねの毎日の中で、あなたを育てているわけだけど、あなたを育てる事を通じて、こんなにたくさんの幸せな思いを与えられるとは、二人きりの時は想像できませんでした。そして、その事によって お父さん お母さんも、はかり知れないほどの心の栄養分をもらってあなたと成長することができて何より嬉しいです。あなたはもう自由に歩けるし、走れるし、いろんな事がこれからも、1人でももっともっとできるようになります。新鮮な目で、この世界の多くの事を見、じかに触れ、聞き、体を通して、その感動を自分のものとしていってね。それがあなたの大切な財産になると思います。
 それを基盤にして本当の意味での豊かさを生きていって欲しい。この頃、お母さんは、真の強さという事を考えさせられるのですが、やはり、それは他者を許して受け入れること、愛を生きていく事だなぁとつくづく思います。これが又、言うにやすく、この位難しい事がないと思わされます。でも、これを目標に生きていく人生って、やはり素晴らしいと思うの。
 あなたの目を見張るような成長に負けじと、お父さん お母さんも大きく育っていきたいです。(母による『育児日記』より)

 

 この日記に書かれている、真の強さ、豊かな心でいることについて、直接、両親から言葉にして伝えられたことはありません。しかし、いまの僕が「本当の豊かさ、本当の強さとは何か?」と問われたら、母の言葉と同じようなことを口にすると思います。示し合わせたようで自分自身とても驚いてしまうのですが─。そして、この「育児日記」を通して、まるで自分の言葉かのような母の言葉に出会ったことに不思議な感慨を覚えています。子どもというのは、親に為された子育てを通じて言葉で伝えられなくとも、しっかり受け取っているのだと。それは前述したように、「育児日記」の思想とも言うべき、深い愛情と客観的な視点を通じた、親と子の相互作用の学びによって為されているように感じるのです。
 日記とは、基本的に書くことで気持ちを昇華させる為に、もしくは内省する為に、あるいは単純に過去の記録として、他者の目を気にせず自身の為に綴るものです。しかしながら、この「育児日記」は、親の内省という側面はありつつも、実際、母からプレゼントされた僕のように子どもの為に書くこともできます。きっとこのプレゼントを子どもが喜んでくれるまでには随分時間がかかると思います。「孝行したい時に親はなし」という言葉がありますが、もしかしたら、そのような苦労は随分先まで報われないかもしれない。実際、愚かな僕は、気づくまで随分時間がかかりました。子どもを持つことになって初めて、子育てしてくれた親の気持ちや行為を実感として本当に有難いことだった感じるようになったのです。きっと自分の子どもも成人するまで、あるいは親になるまで気づかないかもしれない。
 子育てや仕事に追われて、日記をつけるのはとても大変なことだと思いますが、それでも、「育児日記」を文字で埋めていくことは、子どもに何かを買い与えること以上に価値があることだと僕は考えます。抜け落ちている幼児期の記憶を補完するだけでなく、”あなたがあなたでいられる”原点を確認する、親と子どもで織りなすひとつの作品です。きっと、子どもが大人になってこれを受け取る時には、日記という意味以上の重厚な物語になっている、とそう確信することができます。写真や動画もまたその役割を担ってくれるかもしれませんが、親と子ども、どちらにとっても(長い時を経て)鏡のようになるという意味では、文字として残して置くことは大切と言えるかもしれません。
 僕たち夫婦も子育てをしながら「育児日記」を綴り、その営みを通じて、幼かった過去の自分、未来を持つ自分たちの子ども、そして、育ててくれた両親を重ね合わせていくつもりです。きっとそこには、過去から次代に繋ぐ、生命の環のようなものが朧げに立ち顕れてくるのではないかな、とそう思っています。

 
 
 

Text: arata sasaki (佐々木新)
岩手県盛岡市出身。一児の父。東京と岩手の二拠点暮らし。
ブランディング・スタジオ「HITSFAMILY」にて、ブランド・アイデンティティ・ディレクター、コピーライターとして働く傍ら、最新のアート/デザインを紹介するウェブマガジン「HITSPAPER」や”子どもを通じて世界を捉え直す”「mewl」の編集長を務めています。
また、2013年から散文を書き始めて、2016年に小説「わたしとあなたの物語」、2017年に小説「わたしたちと森の物語」を刊行。それらに併せて、言葉と視覚表現の関係性をテーマにした展示を行っています。
(HP / Instagram)

Drawing: Yoh Komiyama (小宮山洋)
プロダクトデザイナー。妻は岩手県久慈市出身。
「小宮山洋デザイン事務所」にて日用品のデザインを行う傍ら、ドローイングを描いています。
また、2019年より実験的プロダクトデザインユニット「●.(Q/period)」を土居伸彰、萩原俊矢と結成し活動しています。
(HP / Instagram)

 

 

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