when I was a child 06 – 神さまと小さな子ども

 娘の成長を見ていると、鏡のように幼少期の私がどのように育てられたのか、両親やまわりの大人たちの言葉、態度、振るまい、環境を思い起こすことが多くなりました。いまの私を作っている多くのことは、生まれもったものなのか、その後の教育によって作られたものなのか、生きる上で大切にしているものは一体いつの頃から築きあげられ始めて、その後の人生にどのように影響を与えてきたのか。自分が子育てをする立場となり、その興味はさまざまな方面に広がりつつありますが、最近、特に関心を持ち始めているのが、私が形作られた上で影響を与えたであろう、キリスト教 (プロテスタント *1) という宗教についてです。
 宗教の歴史はとても長く、多くの血が流れてしまったという側面もあるので、育児や教育に結びつけてお話しすることはとてもデリケートなことだと思っています。しかし、このエッセイを始めるきっかけとなった、自分にとっての子育てを探す為には、どうしても過去の自分を振り返ってみなければならず、このテーマは避けて通れないと考えています。それくらい小さな頃の私はキリスト教から強い影響を受けた、と私は考えています。
 とは言ったものの、キリスト教が歩んできた歴史全体についてお話しするには知識がとぼしすぎるので、あくまで私の宗教体験として、まだ意思も持たない時に幼児洗礼を受け、それから大人になっていくにつれて少しずつ離れていく過程、また、現在に至っては人生の中で遠ざかっていたにも関わらず、これまでとは違った認識が生まれつつあることについてふれたいと思っています。
 私とキリスト教の最初の出会いはまだ言葉も話せない幼子の時で、産まれて間もない頃に教会に行った(正確には連れていかれた)ことでした。もちろん、これは自らの意思ではなく、両親が共に熱心なクリスチャンだったからです。二十代の頃、同じ教会の信徒として出会い、結婚し、それから40年近くも、両親は同じ教会の礼拝に毎週出席しています。その間、両親が信仰心を失った姿を私は一度も目にしたことがありません。たとえば、毎日の日課である祈りや、時に家族に投げかけられる聖書の言葉など、両親のあらゆる考え方、言葉、行動に至るまで、人生の中心にキリスト教があることを強く感じます。彼らは本当に熱心なクリスチャンです。
 そのような両親の元に生まれた訳ですから、子どもの私が全く影響を受けないはずはなく (私の名前の「新」は新約聖書からとられている)、小さな頃はごく当たり前のようにキリスト教にふれていました。牧師によって語られること、その深い意味までは理解できるものではありませんでしたが、第二の家族とも言うべきほど自分に近しい場所だと感じていました。教会が営む幼稚園に通っていたことも大きいかもしれませんが、教会の信徒によるコミュニティには、他の集まりにはない特別な連帯感があり、子どもながらに強い所属意識があったように思います。”汝の隣人を愛せよ”というキリスト教徒にとって大切な教えのひとつが、その教会では見事に実践されていました。だから、教会に行くと何とも言えないような安心感を抱いたことをよく覚えています。
 そのような訳で、おそらく小学生高学年くらいまでは、教会に行くことに疑問を感じたこともなければ嫌だと思うこともなく、むしろ、心地よさを感じていました。周囲の大人たちは温かく優しいし、当時は(80年代くらい)子どもたちがたくさんいて、すぐに同年代の友人ができました。彼らと夏季学校でキャンプに行ったり、クリスマスで、イエス・キリストの誕生を祝う劇を披露したことなど、大切な思い出となっています。
 それら体験は、地域コミュニティや小学校でも可能だったかもしれませんが、ひとつの思想のもとでくくれないコミュニティとは異なり、同じ信仰心の元で繋がっている場で体感したことは私に多くのものをもたらしてくれたのではないか、と大人となった今では考えています。
 公立小学校や地域のコミュニティではより様々な人間がいるという意味で多様性(多くの価値観を持つ人にふれる場として)を学ぶ機会になります。もちろん、それを否定するつもりはありませんし、むしろ、子どものある成長段階では、その機会が多ければ多い方が良いとも思います。しかし、まだ自分の身を守る術を知らない子どもが、無闇に放り込まれた場合、どうしても繊細な子どもほど、他の子どもとの価値観や性格の違いで深い傷を負ってしまいかねません。
 実際、小さな頃の私は非常に内向的で傷つきやすい人間でしたから、小学校に上がった直後は友人のささいな言葉や行動で傷つくことも多くありました。しかし、教会というコミュニティでは、性格こそ違えど根に非常に似た価値観が流れていて、無闇に傷つけられた記憶は一度もありません。”汝の隣人を愛せよ”や”右の頬を打たれたら左の頬を差し出す”などのキリスト教の教えが守られていたこと、そして、教会にいる大人の方が圧倒的に子どもより数が多いので、子どもたちは誰かの目に留まり、常に見守られていたということも大きかったかもしれません。
 とにもかくにも、こうして小さな頃の私はたとえ日常で嫌な事があっても、毎週日曜日、教会に行けば温かく迎え入れられることで、他者を突き放して見るのではなく、隣人として、信頼できるものとして自身の中に定めていったのだと思います。
 このような幼少時の私とキリスト教の密な関係は、小学校高学年から中学校に上がる頃に少しずつ切り離されていくことになります。教会の雰囲気や、あの当時優しくしてくれた信徒さん、友人たちは今でも好きですし、多くの学びを得たはずなのですが、どうして自ら離れていったのか本当に不思議です。両親がクリスチャンを辞めた訳でもなく、教会で嫌な目に遭うような事件が起こった訳でもない。気づいたら結んでいた糸が自然にはらはらとほどけるように離れていきました。
 はっきりとした原因はいまだにわからないのですが、ある日の教会で見た印象的な光景をふと思い出すことがあります。それは礼拝のお祈りの時で、とても綺麗な光が教会に投げかけられていました。静かな黙祷の中、ふだんであれば目を閉じてお祈りをするのですが、私は目を開けてしっかり周りを見渡していました。当然のことですが、私以外は瞼を閉じていて黙祷をしているはずでした。しかし、私はある人 (少し距離感を感じていた大人) と視線がぶつかってしまいました。とても悲しそうな瞳に見えました。急いで瞼を閉じたのですが、罪悪感のようなものが広がっていったのを覚えています。
 今こうして冷静に分析すれば、きっとその頃から私は神様の存在をうっすらと疑い始めていたのかもしれません。だからそれを責められたような気がして、自分を恥じたのだと思います。疑いを持つ、心の汚れた自分が教会に通う権利はどこにも無いと判断を下したのでしょうか。正直なところはわからないのですが、いずれにせよ、この頃から当たり前に通っていた教会が、理由を持って行く場所へと変化し始めたのだと思います。
 もうひとつ別の角度から離れてしまった理由を考えると、多様性の中に飛び込んでいかなくてはならない、と直感的に感じていたのではないかなと思っています。教会は社会の一部ではあるのですが、ある種守られた特殊な場です。当時の私が、他者をどれくらい信頼できるかという基本的信頼感 (*2)のようなものを教会で形づくったと見なせば、より複雑で多様な価値観のるつぼへ踏み出そう、とあるタイミングで感じていてもおかしくはありません。強く生きていく為、常に安堵できる場から一歩踏み出すべきだ、と感じたのではないかなと。
 もちろん、その当時は、このような客観性もなく、言葉にする術もなかったので直感的なことだったのでしょうけれども。特殊な温もりがあるコミュニティにいると、弱い私は甘え続けてしまうのではという恐怖感があったのでしょう。今にして思えば、その中間を上手くとれれば良かったのですが、両親からも温かい愛情を受けていた私は、どうしても自分から切り離さないと前に進めない、と感じたのかもしれません。
 ここまで記憶を頼りに幼少期からのキリスト教との密接な関わり、やがてくる別れをお話してきました。あらためて振り返ると、現在の私の人格や倫理観の基礎を形づくっているのは確かだと思っています。幼少期の言葉が話せない時期からすぐそばあった訳ですから、当然といえばその通りなのですが、あらためて考えるとその存在はあまりに大きい。たとえ教会に行っていなくとも、日々のあらゆる場面でベースになっているのだと感じています。
 そして、一度離れてしまったキリスト教ですが、大人になるまで多くの価値観を持つ人々や日本古来の文化に触れて、さらに子どもが生まれ、これまで以上に人の生き方や育て方を考えるようになって、その認識が少しずつ変化してきたことを最近感じるようになりました。
 その中でも他の宗教に触れたことはとても大きいことだと思います。特に日本の古くから伝わる思想から私は多くを学びました。日本には神仏習合(*3)という素晴らしい考えがありますが、現在の私はキリスト教や仏教、あるいは新道、その他多くの宗教が喧嘩することなく、それぞれを否定することもなく、どれをも排除することのない調和という価値観がとてもしっくりきています。それは多様性の中に身を置いていたからこそ、見えてきたことではないかなと。
 そのような宗教というもの、他者の根に繋がる価値観と向き合うようになってからは、キリスト教信徒の素晴らしい姿勢、信念がより明瞭に照らされて見えてきたように感じています(多くの宗教で共通することでもありますが)。それは信仰心を抱いている人すべてが無条件に神様というものを信じている訳ではないということ。
 一見するとこれをネガティブに捉える人もいるかもしれませんが、逆説的に言うと、疑いながらも無いかもしれないこと(目に見えないもの)を意思の力で信じるということでもあります。つまり、神様という対象を別なものにした時、例えば、伴侶や友人、子ども、親、あるいは全く見ず知らずの他者との(目には見えない)繋がり=隣人に愛情を注ぐこと、信頼することを意思の力で貫き通すということでもあります。相手に不信や疑いを抱いた時に、どれだけ目に見えないものを信じ続けることができるのか、これが深い愛情へ、隣人を愛するということに繋がっていく。そのための訓練を、知らず知らずのうちに小さな頃からしていたのだと感じるようになったのです。
 こうした捉え方の変化に至って、私が嬉しかったことは、幼少時から現在までという時を経て、この考えを熱心なクリスチャンである両親と共有できたことです。ようやく私にとってのキリスト教というものが何なのか、そのさわりとも言うべきものに触れることになりました。そのような意味では、幼少期から年齢を重ねる内に、キリスト教から離れていったのはその学びを得る為のしかるべき道だったのかもしれない、とも思えます。もちろん、宗教とはそれに向き合う各々によってその捉え方や理解が異なることだと思うのですが、少なくとも現在の私にはそのような意味を受け取っています。
 私は自分の宗教体験を通じて、”信じる”ということの意味を、”疑う”ということを通じて学んでいます。自らの中にやましい心があることをどのように受け止めて、人生の中で捉え直していくか。育児をする上で、子どもにこのようなことを教えることはとても難しいことだと思いますし、そもそも言葉で教えるようなことではないかもしれません。
 私の場合、たまたま両親が信仰心を捨てずに生き続けていたからこそ、どうしてそこまで(目に見えないものを)信じ続けることができるのか、という強い疑問と好奇心があり、常にどこかでその答えを求め続けてきた自分がいました。自分が不信者で、汚れていると感じたこともあります。おそらく両親に辛くあたったこともあったでしょう。それでも両親の対応はいつでも見守るという姿勢を崩しませんでした。きっと当時の私は両親に言葉で説得されても理解できなかったでしょうし、返って遠ざけてしまいそれっきり向き合わなかったかもしれません。両親は子ども自身が自分でその学びに至るように、無理やり押し付けるようなことは一切しませんでした (宗教だけでなくあらゆるものがそうでしたが)。
 私とキリスト教=宗教との向き合い方がこれからどのように変化するのか、今のところはっきりしていませんが、少なくとも我が子に関しては、両親が私にしてくれたように押し付けるようなことはせず、自然の流れのまま生きていって欲しいと思っています。

 

*1 プロテスタント
宗教改革運動を始めとして、カトリック教会から分離し、特に福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指します。日本ではカトリック教会に対し「新教」とも言います。

*2 基本的信頼感
アメリカの心理学者エリク・エリクソンが唱えた、こどもが養育者との間に強い情緒的な絆を形成する中で、自分が他者から愛され、大切にされているのだという感覚。

*3 神仏習合
外来の仏教信仰と固有の神祇信仰とを融合調和すること。

 

Text: arata sasaki (佐々木新)
岩手県盛岡市出身。一児の父。東京と岩手の二拠点暮らし。
ブランディング・スタジオ「HITSFAMILY」にて、ブランド・アイデンティティ・ディレクター、コピーライターとして働く傍ら、最新のアート/デザインを紹介するウェブマガジン「HITSPAPER」や”子どもを通じて世界を捉え直す”「mewl」の編集長を務めています。また、2013年から小説を書き始めて、2016年に小説「わたしとあなたの物語」、2017年に小説「わたしたちと森の物語」を刊行。それらに併せて、言葉と視覚表現の関係性をテーマにした展示を行っています。
(HP / Instagram)

Drawing: Yoh Komiyama (小宮山洋)
プロダクトデザイナー。妻は岩手県久慈市出身。
「小宮山洋デザイン事務所」にて日用品のデザインを行う傍ら、ドローイングを描いています。
また、2019年より実験的プロダクトデザインユニット「●.(Q/period)」を土居伸彰、萩原俊矢と結成し活動しています。
(HP / Instagram)

 

 

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