よあけ

 幼い頃、早起きをして、まだ町が寝静まっている夜明け前に出かけることが好きだった。目的はカブトムシを採集すること。最初はスポットを知っている父親と一緒に行っていたが、やがてひとりで、あるいは弟を連れて一緒に行くようになった。
 私が育ったのは、幸いにも山や川がある自然に囲まれた土地で、行く場所には困ることはなかった。東西南北、子どもが歩ける近い距離に何かしらのスポットがあったのだ。はっきり覚えていないけれども、中学校にあがるまで、春や夏の休日の朝は早起きをして探索をしていた記憶がある。自宅から半径数キロで踏みしめていない地はないというくらい歩きまわった。
 そんな遊びも時間と共に変化していった。昆虫を採集することから単純に探索することの方が好きになり、立ち並ぶ家々を眺めて、住む人の物語を夢想したりした。庭に転がっている玩具や干してある洗濯物、家の佇まいから家族構成や普段どのような生活を営んでいるのかを想像する。この行為は、日中は何か後ろめたい気がして、夜明け前がふさわしいような気がした。
 寝静まっている町を歩くことの楽しさはたくさんあったが、ある時、私の意識を大きく変えた事柄がある。もちろん、今になって振り返ればそう思うということで、幼い頃は無意識だったのだけれども。
 弟と一緒に夜明け前に山へ探検に行った帰り道、町を一望できる場所(ここから見える岩手山は格別に素晴らしい)で私は、日の出までの刻々と移り変わる圧倒的な色彩に出会った。色は瞬間瞬間で変わり、ひとつとして同じものはなかった。紺青から薄い水色へ、そこから一気に山に芽吹く緑や黄色が一斉に網膜に飛び込んできた。その時、光景は今でも私の原風景として深く心に刻まれている。
 ユリー・シュルヴィッツの絵本『よあけ』を読むと、私はいつもあの時の圧倒的な色彩のゆらめきを思い起こす。あの時見た、誰もが寝静まっている「静」から、生物が動き出す「動」の移り変わりの美しさを。
 幼少期に読んだときは全く気が付かなったが、最近になってデザイン的なテクニックが施されているのがわかった。『よあけ』では、まるで登場人物の世界を覗き込むかのように丸い円の中で物語が進行する。最初のページなどは絵よりも余白の方が多いくらいの割合なのだが、これが夜が明けた時の「静」から「動」へのカタルシスに繋がっていく。ラストで現れる「動」の場面では、一転して余白がないくらい画角一杯に光に照らし出された世界が描かれる。夜が明けて、光が溢れた圧倒的世界を提示する見事な演出だと感心してしまう。
 子どもが生まれて絵本を読むようになったことで自分の中に眠っている懐かしい幼少期の記憶を思い起こす機会が増えた。この体験は自分が何を大切にしてきたかを再確認するようなことであり、『よあけ』の場合は幼少期の美しい原風景を蘇らせる絵本だと思う。
 子どもたちと一緒に夜明け前を探検することが実に楽しみで仕方がない。
(文 / mewl 佐々木 新)

 
 

『よあけ』

作・絵 | ユリ・シュルヴィッツ
訳 | 瀬田 貞二
出版社 | 福音館書店

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