おおかみのおなかのなかで

 小さな頃、悲しいことがあると母親に泣きついていた私だったが、弟が生まれてからそれもしにくくなった。当時は、特に意識していたわけではないけれども、兄として振る舞わなければいけない、と心のどこかで感じていたのかもしれない。過度に鋭敏だった幼い頃の私は、今では笑ってしまうような出来事に傷つき、その度に感情の吐き出し方が分からず随分馬鹿げたこともしたと思う。弟に悪戯したり、友人と一緒に子どもがよくやる悪さを一通りやった。
 悪さをすること以外で、自分なりに感情を昇華する手段を見つけたのは、おそらく小学校に入学してからだと思う。それは物語をひとりで読むことだった。物語の中に登場する主人公に感情移入をして、悲しみや憤りのようなものを一緒に共有し、それらを乗り越えていく。実際、疑似体験したことを手本に現実世界でもそのように振る舞ったこともある。その度に胸がすっと晴わたったものだ。その頃の私の愛読書は正統派のファンタジーだったが、ときおり、何も考えずに笑えるようなユーモア溢れる絵本も読んだ。
 例えば、長新太の『たぬきのじどうしゃ』や、馬場のぼるの『11ぴきのねこ』シリーズなどである。このような本を読んでいると、現実で起こった悲しいことが、何だか取るに足らないものに思えてきて (実際いま思い出すと、笑い飛ばしてしまうような些細なことだ) 気持ちが軽やかになった。
 大人になって気付いたことだけれども、いわゆる喜劇には、現実に起こった悲しい出来事を笑いにして昇華するという側面もあることを知った。現実をシリアスに描くことで心に訴えかけることも大切だが、笑いもまたポジティブへ導く可能性に開かれている。
 児童書作家ジョン・クラッセンが手がけた『おおかみのおなかのなかで』はまさにポジティブな気持ちにしてくれる喜劇的な絵本だ。まず冒頭でいきなりねずみがおおかみに食べられてしまう。現実ではこれで終わってしまうが、そこは喜劇。おおかみのおなかのなかには、以前おおかみによって食べられてしまったアヒルがすんでいて、パンのみみやジャム、ベッドなど快適な世界が用意されている (食いしん坊のおおかみがおそらく飲み込んでしまったのだろう)。ねずみもアヒルももう一度外の世界に出て、危険にさらされるくらいならここで暮らしていきたいと思っている。ところが、りょうしがおおかみをねらうことでひと騒動が起こる。大人が読んでも笑ってしまうストーリーだ。
 ジョン・クラッセンは、彼の描く絵がもともと好きでイラストレーターとしてチェックしていた作家さんだが、最近では絵本の書き手としても私のお気に入りになった。他の作品も紹介すると、コールデコット賞次点となった『サムとデイブ、あなをほる』『アナベルとふしぎなけいと』、他にも『どこいったん』『ちがうねん』『サンカクさん』など、ユーモア溢れる作品を多数手がけている。
 個人的に、下品なコメディタッチのものが嫌いで、正統派というかシリアスな物語の方が好きなのだが、ジョン・クラッセンの作品は彼が生み出すキャラクターのせいか、すんなり物語に入れるし、子どもと一緒に笑いながら読めるという点でも絵本として魅力的でかなり好きだ。大人になって喜劇の力を意識するようになってから、またユーモアが苦手な私は、彼の持つ自由な発想に畏敬の念すら抱いている。いつか彼の絵本からユーモアを学びとれたらいいなと思う。
(文 | mewl 佐々木新)

 
 

『おおかみのおなかのなかで』
出版社 | 徳間書店

ジョン・クラッセン
1981年カナダ・オンタリオ州ナイアガラフォール生まれ。はじめて文と絵を手がけた絵本『どこいったん』(クレヨンハウス)は、2011年ニューヨーク・タイムズベストセラー、ドクター・スース賞オナー賞などを受賞。第二作『ちがうねん』(クレヨンハウス)は2013年コールデコット賞とケイト・グリーナウェイ賞をダブル受賞し、絵本史上初の快挙をなしとげた。カリフォルニア州在住

なかがわちひろ
中川千尋。翻訳家。創作絵本や童話に野間児童文芸賞を受賞した『かりんちゃんと十五人のおひなさま』(偕成社)、日本絵本賞読者賞を受賞した『天使のかいかた』(理論社)など。

Leave a Comment