たべたの だあれ

 こどもの成長を感じる瞬間はさまざまですが、最近だと特に絵本を読んでいる時に訪れます。たとえば、以前は全く興味を示さなかった絵本が、成長によって大のお気に入りになっていたりします。以前の発達状態では、文字が多かったり、物語や内容の意味がわからなくて理解できないことから面白くないと判断されていたのでしょう。実際、お気に入りになった絵本を読んで見ると、驚くほど以前の反応と異なっていることがわかります。
 五味太郎さんが制作した「たべたの だあれ」はつい最近、3歳になった娘のお気に入りとなった絵本です。実家には五味太郎さんの絵本が結構あり、実は娘が小さな頃から手にしていましたが、その時には全く興味を示しませんでした。もちろん、絵本以外にも、物珍しいオブジェやおもちゃがあるので、実家に遊びに行く限られた時間の中では、他のものに負けて強く惹かれなかったのかもしれません。
 しかし、通っている保育園の貸し出しで再発見して、家に持ち込まれた本書は、大のお気入りになりました。家の中でどこかに移動する際は大切に抱えて持って歩きます。ベッドはもちろんのこと、トイレにすら持っていく。
 実際、「たべたの だあれ」を読んであげると、娘は誰が食べたのかを指をさしてあてて、その理由まで話してくれます。「このライオンさんは鼻がイチゴだから、このひとが食べたんだよ」と。読む前は、最近の脳の発達具合から、誰が食べたのかを当てることくらいはできるだろうなと予想していましたが、その理由まで流暢に説明できることに感心すらしてしまいました。
 そして、私も五味太郎さんの作品が持つ吸引力にあらためて驚きました。なぜ他の個体と違うのか、その相違点を発見し、理由まで考える。この行為を絵と構成で何度も自発的に導けるのは、やはり、五味太郎さんが持つユーモア性が大きいような気がします。こどもとのコミュニケーションを大いに楽しめる一冊であり、大人も五味太郎さんの発想や視点にハッとさせられる。
 個人的なことになりますが、幼少期から何度も読んできた本書を時代を超えて、読み継げることも大きな喜びになります。同じシリーズで「かくしたの だあれ」があるので、今度こどもたちと一緒読もうと思っています。まだ未読の方はぜひ手にとってみてください。

 

(書評文 | mewl 佐々木新)

 
 

「たべたの だあれ」
作・絵 | 五味 太郎
出版社 | 文化出版局

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