子どもと歩く

 娘がとてもよく歩く。玄関に出ると、「くつ、くつ」とせがみ、外に出かけようと私たちを誘う。その声に導かれるように、私たち親子は毎日のように散歩に出かける。たった10分という短い散歩もあれば、30、40分かかる長い散歩もある。最近は暖かくなり、そのどれもが心地よい散歩だ。
 私が大好きな人生の先輩が息子さんと一緒に週末になると「青春18きっぷ」を利用して、列車の旅をしている。路線やタイムスケジュールはある年齢になってから息子さんがすべて決めているという。日帰りの時もあれば、宿泊する時もあって、移動時間はたんまりあるから親子でゆっくり話す。最初は住まいの近くから始まったが、今では九州、東北、北海道と移動距離はどんどん長くなっているらしい。
 昔と違っていまではインターネットで検索すると、その土地の風景を写真として見ることができるが、自分の足で土地を歩き、風を感じたり、突然飛び込んでくる景色を見るのは何という贅沢なのだろう。車では移動せず、自分たちの足を使い数時間かけて、身体に記憶させる。これこそが豊かな時間であり、のちの人生で貴重な財産になるのではないか。土地を知ることは、多分、私たちの歴史を知り、自分を理解することでもあるのだろうと思う。
 そのような体験を子どもと一緒にしている先輩を見て、私も娘と同じようにさまざまな場所へ出かけてみようと思った。それもなるべく、列車を使い、ゆっくり気ままにその土地を歩きたい。いまはその為の予行練習だと思っている。もちろん、娘はまだ1歳半なので、もう少し先になりそうだが、私たち家族が住む場所には、幸いにも少し足を伸ばせば行く価値がある自然がまだ残されている。東に向かえば天候によっては青く霞みがかって見える美しい稜線を持つ山々が、西に向かえば滔々と流れる北上川へ出る。
 道中には発見がたくさんあるので実に楽しい。娘との会話を楽しめるし、成長過程もわかる。それに、私自身無意識だったことがぽっかり浮かび上がることもある。先日は、娘と歩きながら、いつの間にかこの土地が自分たちの場所だと思えるようになったことに気づいた。1年前にはなかった感覚である。ここで育つ娘を想像して、だからこそ、価値のある創造的な土地として残していきたいと心の中で願っている自分を発見したのだ。
 娘はよく道に座り込んで地面にあるものをふれて、掴み、私に渡してくる。石、草花、木の枝、目に入った興味深いものはすべてさわってみたいようだ。季節の中で楽しませてくれる虫たちや連帯を組んで空を飛ぶ鳥たちも。彼女に、それらの名前とどのような生態を持つのかを教えるために調べてみると、自然の生態系のあり方まで考えを巡らすことになる。
 娘の新鮮な眼で見る世界は驚きに満ちていて、傍にいると、いっときの間、私は小さかった頃の感覚に戻る。毎日が発見の連続で、外に出ることが喜びだった。娘がいなかったら、この年齢でこのような感覚にはならなかっただろう。
 果たして、子どもと共に歩む道はこれからどのように変化していくだろうか。住む場所だけでなく、さまざま場所で一緒に歩いてみたいと思う。
(文 佐々木 新)

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