ある家族からのおたより – リアスのうみべ

 私たち mewl マガジンにお便りが届きました。ご本人に許可をもらい記事としてご紹介します。また、みなさまから、子育ての楽しみや悩み、家族の中で起こった不思議なエピソード、幼少の頃の話など、家族にまつわるお便りを募集しています。お名前は匿名でも構いません。尚、送っていただいたお便りを採用させていただいた(記事として掲載させていただいた)場合、2000円分の図書カードをお贈りいたします。

(トンビ 25歳)
 先日紹介されていた「リアスのうみべ さんてつがいく」を読み、思わずDMをしました。良かったらお読みください。
 東日本大震災が起こった時、わたしは15歳で被災にあった釜石に住んでいました。わたしたちの家族は転勤族で海岸から離れた山の方に家を借りていたので幸運なことに無事でしたが、とても親しくしていた友人が亡くなってしまいました。その友人はわたしが小学校2年生の頃、釜石に引っ越しをしてきた時、真っ先にクラスに馴染めるように手助けてくれた子でした。とても優しくて、明るくて、誰かの特徴を掴んでモノマネをするのが上手だった女の子です。
 中学校でも一緒になったわたしたちは休日でもよく遊びました。何度か一緒にさんてつに乗って、悩みや不安、将来のことを話し合ったこともあります。友人は地元に残り、就職をして早く結婚したい、とよく言っていました。生まれも育ちも釜石で、地元が好きだったし、子どもも好きな子だったので彼女らしいな、と思ったのをよく覚えています。
 東日本大震災のことを思い出すと、そうした友人の夢や希望が絶たれてしまったことに対する憤りややるせない悲しみが襲ってきます。そして、時折、自分が責められているような感覚になってしまいます。わたしは震災が起こった2年後に両親とともに釜石を離れて、そのまま県外の高校に入学し、卒業、就職、結婚をしました。昨年は子どもを授かっているのがわかり、今年の1月に無事生まれました。悩みや不安ももちろんあるのですが、自分でも驚くくらい順風満帆に進んでいることに対して、ときどき後ろめたさのようなものを感じてしまいます。釜石を離れてしまったこと、友人が望んでいたことを自分が少しずつ手に入れていること。友人のことを想うと胸が苦しくなってしまいます。
 この10年間、そうした自責のようなものに苦しんだのですが、最近不思議なことがありました。わたしはあまり夢を見るタイプではないのですが、子どもが生まれて数日後に突然友人が現れました。友人はあの当時の幼いままの姿でした。わたしたちは一緒に並んで座って何も言わずに海を眺めました。いま思い返してみると、友人はみんなの前では割と明るくておしゃべりなのですが、二人になるとたまにこうした沈黙の時間がありました。
 その夢でもわたしたちは何も話さず、おだやかな海をただただ眺めていました。それだけの夢です。でもわたしは何だか彼女に許されたような気持ちがしました。勝手な解釈かもしれませんが、わたしのことで自分を責めなくてもいいよ、と伝えられたような気がしたのです。
 学生の頃は長期休みの際よく戻っていましたが、働きはじめてなかなかゆっくり戻る機会が有りませんでしたので、今年は娘を連れて、10年間住んだ釜石の町を歩きたいと思っています。東北の桜は綺麗ですし、娘にもわたしが育った町を感じて欲しい。そして、久しぶりにさんてつに乗って、友人に結婚したことや子どもが生まれたことを海を眺めながら報告できたらと思っています。

 

 

*本記事は読者さんから送っていただいたテキストを元に、誤字の訂正や読みやすさを考慮して改行などを加えています。また、写真は編集部で選んだイメージとなります。

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