[ある家族からのおたより] 無意識のうちにわたしらしさというものをどこかで抑え込んでいた

(埼玉 ガーネット)
 はじめまして。
 わたしたち家族は埼玉と東京の境にある小さな町に、旦那と5歳になる娘の3人で暮らしています。娘は保育園に通っており、旦那は医療関係者、わたしはパートでフォトスタジオのアシスタントをしています。
 コロナ禍以前、わたしはよく友人たちととも夕食やお茶会をしていましたが、旦那がコロナに対して神経質なため、今ではほとんど外出することも、人を招くこともなくなり、友人たちと会うことが極端に減りました。子どもはもちろん、旦那の職業としての責任を思えば、家族の中でわたしの勝手で感染のリスクを高めることは避けたいと思っています。そのことを頭では理解しているつもりですが、わたしは閉じられた空間に長い時間いると、ストレスを溜めやすい性格のようで、無意識のうちに不機嫌になってしまいます。
 お仕事も減り、保育園でコロナ感染した子どもが出たこともあって、一ヶ月間、自宅待機となったときもありました。その間、旦那や娘に指摘されて気づいたことですが、言動がいつもより強くなったり、扉の開け閉めが乱暴だったり、軽い癇癪を起こしたり。指摘されて、自分でも意識をするようになったのですが、時間の経過とともにまた同じようなことを繰り返してしまいます。
 旦那の分析によると、生真面目すぎるわたしの性格が大きいのではということでした (わたしから見れば、旦那もじゅうぶん生真面目なのですが)。確かにわたしは生真面目というか完璧主義なところがあって、部屋はいつも綺麗にしておきたいし、時間はきっちり守りたいし、食事もいつも美味しいものを家族に食べて欲しくて綿密に計画を立てたりする習性があります。しかし、娘は自由奔放に振る舞う時期だし、片付けや時間を守るということもまだ難しい。考えてみれば、子育てにおいても、起きて寝るまで常に娘を注視している状態なので、ストレスが溜まってしまうのは当然と言えるかもしれません。自分のことはまだ完璧にやることができても、娘を完全にコントロールをすることはできないのだから。
 そのことをしっかり理解するようになって、旦那さんに協力してもらい、少しずつ子育てや仕事から離れる時間をつくるようにしました。それまでは子育ての時間以外は、仕事や家事に時間を注いでいましたが、それも辞めて、自分を解放する時間を設けることにしたのです。たとえばひとりで散歩に行ったり、部屋にこもって本を読んだり、好きなコーヒーを飲んだり、何もせずベッドで寝転んでみたり。
 このような自分時間を設けるようになって、知らず知らずのうちに、無意識のうちにわたしらしさというものをどこかで抑え込んでいたということに気づきました。旦那や娘と過ごす時間は確かに楽しく、その時間のわたしも素に近いのですが、より素のわたしを曝け出せる場がいつの間にか全くなくなっていたのだと思います。一時間くらいではありますが、そのような時間があることで、わたしはわたしらしくいられる。コロナ禍は辛いことも多いですが、この発見は結構わたしにプラスなことでした。
 コロナ禍の生き方、暮らし方はまだ続きそうなので、より心を穏やかにする為、これからも子育てをする中でわたしらしさを失わない方法を模索していこうと思っています。目下の目標はひとりで山登りをすることです。また何か発見があったらお便りをお出しします。

 

 

本記事は読者さんからお便りを元に、許可をいただいた上で誤字の訂正や読みやすさを考慮して改行などを加えています。また、写真は編集部で選んだイメージとなります。
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