こころの家

 私がこころという目にみえないものに興味を持ち始めたのは幼稚園児の頃でした。本当に些細なことでこころが乱れたり、少し天気が良いだけで高揚したり、目の前で同じ現象を体感したとしても、人によって抱く感情が異なったり、こころとはどうしてこうも不思議なのだろうと感じた記憶があります。
 こころのメカニズムへの興味を感じたのは早かったのですが、自身のこころの働きと他者が別物である、と明瞭に分け隔てて考え、行動するようになったのは、実のところ結構年齢を重ねてからでした。それまでは私がこう感じるのだから、他者も同じように感じて当たり前ということがどうしても抜けずに、ある種、他者に伝える行為を甘くみて (説明しなくともわかってくれるだろうという思い込み) いたように思います。
 もちろん、それぞれのこころが異なるとわかったからと言って、なかなか他者のこころが理解できたわけではありません。友人関係や恋愛関係で幾度となく、伝えられない、(相手のこころが) わからないという経験をして、時には痛手を負って、少しずつ他者と自身のこころのメカニズムというものを理解してきました(もちろん今でも勉強中です)。きっと私は人一倍こころを知りたいという欲求が強いのでしょう。事実、私はこころのメカニズムを知りたいという想いに駆られて、大学に進学する際は、心理学が学べる学科を専攻し、学問として探究したいと行動を起こします。
 その後、自身の内面を伝達する具体的な方法として、デザインや言葉を学び、それらに携わるお仕事をして現在に至ることになるのですが、子どもを持った今、生まれたてのこころというものに興味が生まれてきました。きっと、子どものこころの成長を傍で観察することができたからだと思います。不快や心地よさという感情は、人間として最初に体感することですが、慈しみや愛するというこころの状態は、生前から備わっているものではありません。一体いつ、どのような環境で、どのような出来事や契機をもとに生まれるのか(育まれるのか)、興味を持ち始めたのです。
 日常的にこうしたことを考えている時、著 キムヒギョン、絵 イヴォナ フミエレフスカ、訳 かみやにじの『こころの家』という、こころを家に見立て制作された絵本を知りました。韓国語でこころ(「MAUM」)という意味を持つ本書は、こころって何だろう、という難しい問いに対して、非常に美しいイマジネーションに応答しています。きっと大人だけでなく、直感的にこどもにも何かしらのこころのイメージが伝わるような芸術性の高い詩的な表現が印象的です。
 私が素晴らしいと感じたのは、キムヒギョンさんの言葉もさることながら、イヴォナ フミエレフスカの言葉に対する創造的なイラストレーションです。人物描写として、決してわかりやすい表情を描くことなく、いわば描かれている人の考えていることがわからない、という表情を描くことで、こころというものを探究してみたいという欲求を掻き立てます。
 わかりやすく描くということも時と場合によっては必要かもしれませんが、私にとっては、現代社会に多い、わかりやすい表現の在り方は、逆に人の想像力を奪ってしまっていると感じる時もあります。暗喩や描かないことによって、その本質を知りたい、と思わせるイヴォナ フミエレフスカの絵が本作を芸術性の高い作品にしていると思います。
 また、絵本だけでしか体感しえないこととして、ラストのページで表現されている仕掛けは見事です。こころというのは鏡のようにその人自身を映し出す、というメッセージ性がデザインによってしっかりあらわれている。職業柄、仕掛けや装丁のクオリティを見てしまいますが、この価格で実現できているのは、よほど作り手の想いが強かったのでしょう。
 最後に本書の素晴らしさをわかりやすく伝えている言葉が表紙見返しにあるのでご紹介します。実際、この言葉を表すようなイラストが描かれているわけではないのですが、本当にこれらの描写がこころに浮かびあがってきます。なぜ、絵がうごいているように見えるのか、なぜ実際描写されていないシーンがこころにあらわれるのか、本書を手にとって体感してもらえたら嬉しいです。
この絵本はちょっと変わっています、
ページをひらいたりとじたりすると、
絵がうごいているように見えます。
ページをゆっくりめくりながら、絵を見てみてください。
おばあさんが赤ちゃんにほおずりをしたり
ハトがつばさをはばたかせたり、
だれかがやさしく、きみを手まねきしたりします。
(書評文 | mewl 佐々木新)

 
 

こころの家
出版社 |‏ 岩波書店

著者 | キム/ヒギョン
1977年韓国・釜山生まれ。梨花女子大学で哲学と美術史を学んだ。サムソン美術館Leeum(リウム)で教育プログラムの企画にたずさわる。視覚障害者のための美術館プロジェクト・モモミュージアムも運営。『こころの家』で、ボローニャ・ラガッツィ賞受賞

イラスト | フミエレフスカ,イヴォナ
1960年ポーランド生まれ。コペルニクス大学美術学部卒業。4人の子どもの母。絵本作品は30冊以上にのぼる。ポーランドの作家だが、韓国でも2004年から絵本を次々と出版し、多くの読者に愛されている。『考えるABC』でブラチスラバ世界絵本原画展(BIB)で金のリンゴ賞を受賞。『こころの家』で、ボローニャ・ラガッツィ賞受賞

翻訳 | かみや/にじ
神谷丹路。1958年東京生まれ。国際基督教大学卒業。韓国に留学した後、韓国の歴史や文化を紹介する仕事にたずさわる。絵本の翻訳に『よじはん よじはん』(産経児童出版文化賞翻訳作品賞受賞、福音館書店)などがある

Leave a Comment