[ある家族からのおたより] 息子は彼を拒絶していたのではなく、私を拒絶していた

(仙台市 アオイ)
 はじめまして。アオイと申します。
 私は二人の息子を持つ母です。十数年前の話になりますが、夫は子どもたちが小さい頃に亡くなり、それ以来、3人で慎ましく暮らしてきました。亡くなった当初は、悲しみの底に落ち、現実から逃避したくて、子どもたちにも辛くあたってしまいましたが、息子たちが小学生に入った時期頃から少し気持ちの余裕が生まれてきました。
 そんな時期にある男性に出会い、お付き合いを始めるようになりました。シングルマザーとして仕事に育児に忙しい中、真剣にサポートしてくださった心優しい人でした。子どもが好きで、子育てにも理解がある方です。しかし、子どもたちは父親を愛していました。父と一緒に映っている写真を机の前の壁に貼っていたり、何か悩んだ時には、お父さんだったらこう考えて行動するだろう、など行動指針の柱としても捉えていました。
 当時は子どもに対する裏切りや夫に対する不義理を思い、その度に心苦しく感じていました。それでも、お付き合いをしている男性にサポートされたことは心から感謝していましたし、生活をしていく中で必要な人となり、いつしか強い愛情も持つようになりました。そして、私は彼と家族という形をつくりたいという願望を漠然と持つようになりました。
 そうしたことを意識するようになって、彼を少しずつ自宅に招いたり、一緒にお出かけしたりして、子どもたちとの関係性を深めようと努力しましたが、次男は懐くようになったものの、もうすぐ中学生となる長男はすべてを察しているようで頑なにその存在を拒み続けました。たとえば、彼が作ったものを食べたくない、と拒絶したり。プレゼントしようとしても、何かと難癖をつけて受け取ろうともしなかったり。
 年頃ということもあり時期的にやはり難しいかったのでしょう。それが発端となり、彼とすれ違いが生じて少しずつ疎遠になっていきました。それから数年が経過して、息子たちは社会人となり、巣立っていく中、一昨年コロナ禍という未曾有の事態を経験しました。
 コロナ禍の一人暮らしは辛いものでした。転職をして自宅で可能な仕事を始めて、一日誰とも話さないということもあり、精神的にもまいってしまいました。そのような時期にふたたび、彼から連絡をもらい、少しずつまた関係性を深めてきました。
 前回出会った時と大きく異なることは、息子たちが彼を拒絶するのではなく、受け入れてくれているということです。長男も次男も、夢を追って東京に行きましたが、私を置いて行ってしまったことに罪悪感を覚えているのかもしれません。彼らに恐るおそる報告した時には、私にサポートしてくれる存在がいることを素直に喜んでくれました。
 何より嬉しかったことは、今年の年初めに彼と長男が約10年ぶりに出会い、一緒に食事をしたことです。少し緊張感を孕んだ空気感の中、彼が長男に対して、「あの当時、あなたの気持ちを汲み取れなくてごめんね」という言葉をかけ、すべてが始まりました。長男も彼に対して拒絶していたことを素直に打ち明け、謝罪と今はそのわだかまりがないことを示してくれました。10年という時を経て、長い雪解けが始まったのです。
 この10年間、私も大いに考えることがありました。まず、亡くなった夫に対して少しでも不義理であると感じるならば、次に行くべきではなかった。きっと息子は彼を拒絶していたのではなく、私(の態度や考え方)を拒絶していたのだと思います。そして、待つということが子育てにおいてとても大切なことを身をもって知りました。
 実を結ぶときというのは然るべき瞬間というものがあり、それを受け取るのには辛抱強く待たななければいけないのだと思います。子育てに限らないこともしれませんが、私にとって子どもたちから学んだ人生の大切な果実です。

 

 

本記事は読者さんからお便りを元に、許可をいただいた上で誤字の訂正や読みやすさを考慮して改行などを加えています。また、写真は編集部で選んだイメージとなります。
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