潮田登久子写真集『マイハズバンド』

 大学生の頃から一人暮らしを始めて十数年間ひとり身だった私は、家族をもつまで長く孤独というものと付き合ってきました (もちろん、家族の中にいても孤独だと感じる状況はあります)。孤独は、自由であるとか、自己と向き合う時間など多様な解釈があり、実際、私は孤独であることをあまりネガティブに捉えていません。むしろ、それを糧に表現に結びつけてきたと思っています。
 デザインや物書きを主体とする仕事柄、ひとりで内面に潜り込むような時間は必要で、そういう意味ではどのように孤独と上手にお付き合いをするのか、ということを若い頃から常に考えてきました。しかし、妻と結婚をして、子どもを授かってからというもの、孤独とどのような距離感でいるべきなのか、次第にわからなくなってしまいました。誰かがいつも傍にいて、孤独を深めること、つまり、自分の内に潜るという行為はいつの間にか特別な時間になってきたのです。
 いま、私は生活に不満は一切なく、むしろ、じゅうぶんすぎるほど満たされています。何が問題なんだ、と言われてしまえば返す言葉がありません。しかし、同時に生<表現>に対する飢餓感の欠如とでもいうべきものがむくむくと浮かび上がっています。これまで私を駆動させてきたものは、孤独や苦しみの中から拾ってきたものが多かったのだと今さらながら気づいたのです。

 
 

 

 家族とものづくり (自己の内側に潜ること) の関係性が、いま私の中で少しずつ変わってきている時に、潮田登久子さんの写真集『マイハズバンド』に出会いました。潮田登久子さんは、1975年頃から活動を開始した写真家です。夫である、島尾伸三さんも写真家で一緒に暮らしながら制作をしていました。
 『マイハズバンド』で心を動かされたのは、家族の中にある暖かい愛情と、一個人である孤独との狭間の中で揺れ動きながら生み出された表現でした。彼ら(夫と娘の三人)暮らしは、憲政の神様といわれた尾崎行雄の旧居を移築した東京・豪徳寺の歴史的な洋館で営まれたわけですが、そこには妻であり、母であり、そして、職業人としての写真家である潮田登久子さんの視点が見事に立ち顕れています。
 その表現は、個人的な淡いノスタルジーでも、客観的な風刺でもない絶妙なバランスの上に成り立っており、私なりに言えば、静かなる熱を帯びた表現という印象です。家族で暮らす、生きるということは、明と暗があり、それらをどちらが善悪であるかということを問うことなく、並列に切り取ったのが本作品集だと感じました。子どもの成長を見守る時、何でも受容するというおおらなか愛情と、社会で生きる上での個の能力を見極める冷静な視点が絡みあった、実に成熟した写真群だと思います。
 まさに家族と共に愛を育みながら生きること、個として、生きることを同時に考えながら洗練させていった(両立させていった)、そういった印象があります。作品を鑑賞しながら、妻、母、写真家どれも潮田登久子そのものであり、どれもが大切なアイデンティティなのだと感じる中、なぜ潮田登久子さんは「家族」や「娘」ではなく、これらの作品を『マイハズバンド』と名付けたのか、非常に興味深い。内容的には、「家族」や「娘」というテーマでも良いにも関わらず。
 普通であり、普通ではない、という両義性を持った家族のかたち。さまざまな家族のかたちが求められる中、家族というあり方、その中の個を考えさせられる写真集『マイハズバンド』。ぜひ手にとって欲しいです。

 

 

(書評文 | mewl 佐々木新)

 
 

潮田登久子『マイハズバンド』
定価 | 5,500円(税込)、出版社 | torch press


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