金子みすゞの童謡を読む

 娘が2歳となり、少しずつ音楽を口ずさむようになりました。まだ短いフレーズ程度ですが、1歳の時から比べると大きな変化です。身体的にリズムに乗り、言葉を発するは結構難しいようで 、約2年ほどかけて、ようやく身体と言葉がシンクロするようになって初めて歌うことができる、という印象です。
 私の知らない曲を口ずさんでいる時も多いのですが、たまに懐かしい童謡を歌っていると思わず一緒に歌ってしまいます。ノスタルジーというバイアスがかかっているかもしれませんが、やはり、童謡を聴くと子どもたち世代にも脈々と日本文化が受け継がれているのだなと感じて少し嬉しくなります。と同時に、童謡というメカニズムにも興味が湧いてきました。旋律なのか、リズムなのか、歌詞なのか、背景に流れる物語なのか、子どもの心を動かすフォーマットがきっと童謡にはあるのだろうと。
 我が子の成長を通じてそのようなことを考えている時に、ナーヘド・アルメリさんの『金子みすゞの童謡を読む』を知りました。本書は多くの童謡を生み出した金子みすゞを研究した童謡論で、童謡を通じて、藝術について、特に偏見や束縛にさらされている女性の内面をあらわす作品として大切なことが多く論じられている本です。童謡を扱っていますが、童謡論ですので子どもが直接喜ぶ内容ではありませんが、子育てをする親として子どもの世界、もっと言えば子どもに新しい世界の見方を促す、非常に開かれた本だという印象の書籍でした。
 まず本書で特筆すべきは、シリア人であるナーヘド・アルメリさんだからこそ生まれたユニークな視点です。何か画期的なアイデアや考え方が生まれる時というのは、外部からの視点=客観的な視点が大切です。古くは日本文学の第一人者であるドナルド・キーンから始まり、最近ではロバート・キャンベルなど、生まれた国、育ったカルチャーが異なるからこそ生まれるユニークな視点、新しい視点が日本文学研究の発展に寄与してきた歴史があります。海外でも、日本で生まれ育った視点から西欧という文化を捉えたカズオ・イシグロなど、外部性という視点は世界に常に新しい価値観を与えてきました。いずれも、別の視点からスタートしながらも対象に寄り添ったからこそ、既存の価値観と見事に交錯して、新しい光があてられています。
 金子みすゞさんの童謡のイメージは、「やさしさ」というものが強調されてきましたが、ナーヘド・アルメリさんは、本当に「やさしさ」だけが童謡の本質なのだろうか、ということを問いかけます。そして、「やさしさ」を超えた (そもそも「やさしさ」とはどのようなことなのか、ということも含めて) みすゞ童謡の実像に迫り、画期的な童謡論へと導いていきます。こうした視点には、ナーヘド・アルメリさんが、シリア内戦などを経て、「死」や苦しみというものを身近で見たということも大いに影響を与えているでしょう。
 金子みすゞさんの過去を紐解けば、非常に若い頃に父親を亡くし、その後、結婚をするも第一次世界大戦を経て離婚。元夫から娘の親権を強硬的に要求されて、のちの服毒自殺を遂げたという悲しい歴史があります。その間、女性として社会的に束縛され続ける中、小さないのちへの慈しみをテーマに作品を作り続けました。金子みすゞさんが生きていた時代には、多くの「死」や苦しみが今以上に身近にあったことが容易に想像できます。
 「死」や苦しみに対しての歌というところで言えば、記憶に新しいこととして、「こだまでしょうか(原題 こだまでせうか)」を使用したACジャパンのCMが挙げられます。東北地方太平洋沖地震に伴うCM差し替えにより多く露出され、各方面から反響を呼んだ、金子みすゞさんの非常に印象に残る作品です。私も当時、本CMを何度か見る機会がありましたが、ここには「やさしさ」とか「悲しさ」といった感情として一括りにできない、複雑な思いを感じたことをよく覚えています。直接的な表現でないからこそ、多様な感情のドアが開かれたのかもしれません。
 ナーヘド・アルメリさんは、「やさしさ」だけでは包括できない、金子みすゞの表現を下記のように記しています。
 「みすゞが偏見や束縛にさらされている女の子の内面を意識して作品化したことは、当時の童謡作品の中でも稀有なことであり、また作品を通じて当時の女性の置かれた社会的な境遇や観念について問題提起をおこなっている点でも特筆に値する。しかも、それをユーモアとも読み取れるフレーズや空想を盛り込みながら記述するのである。そうすることで、作品に心情的な多様性をもたらすのであり、重い主題にもかかわらず、軽やかで鮮やかな印象を残し、心情的に豊かな読みの可能性を広げるのである。」
 私はこの言葉を受けて、良いお葬式/お通夜を思い出しました。それは親しかった人を見送った後、親族や友人、知人とお酒を交わしながら故人を悼む時に立ち現れる、悲しみだけでなく、(生前のエピソードを語ったりするなかで) 笑いがあるような空間です。故人が亡くなったことは絶望的に悲しいが、一緒に過ごした記憶をその場にいる生者と分かち合った時、ふっと少しだけ心が浮上する感覚。明日からまた一歩前を向いて踏み出せるような感覚。
 すべての童謡のバックボーンにそのような含意があるかはわかりませんが、少なくとも金子みすゞさんの一見、明るく歌って踊ることができる童謡の背景には、非常に多くの文学的な含意があり、新たな世界の捉え方の可能性が隠されていることを、ナーヘド・アルメリさんの本を通じて知りました。子どもにこの内容を伝えるには難しいことですが、大きくなり、悲しみや苦しみを知るとき、これらの視点を共有したいなと思っています。
 童謡論ですのでさっと簡単に読める内容ではありませんが、子どもたちに向けられた童謡の世界を深く知る、意義深い本となっていますので、ぜひ手にとって欲しいです。
(書評文 | mewl 佐々木新)

 
 

金子みすゞの童謡を読む
西條八十と北原白秋の受容と展開

ナーヘド・アルメリ 著
www.minatonohito.jp

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