ある家族からのおたより – 父のアトリエ

 私たちのマガジンにお便りが届きました。とても興味深い内容でしたので、ご本人に許可をもらい記事としてご紹介します。また、これをきっかけに、子育ての楽しみや悩み、家族の中で起こった不思議なエピソード、幼少の頃の話など、家族にまつわるお便りを募集していきたいと思います。お名前は匿名でも構いません。尚、送っていただいたお便りを採用させていただいた(記事として掲載させていただいた)場合、2000円分の図書カードをお贈りいたします。

(匿名 36歳 東京都在住)
 はじめまして。いつも mewl マガジンを読んでいます。わたしが特に好きなのはインタビューで、とても素敵な家族が紹介されており、自分の子育ての励みになっています。メールを送らせてもらったのは、掲載されているような皆さんの家族に比べたら大層な家族でもない私たちですが、mewl マガジンさんのコンセプトに近いと思われるエピソードがあってご連絡いたしました。
 私にはもうすぐ7歳になる娘がひとりいます。小さな頃から話すことや自分の感情を表現することが苦手で、母親として心配していました。友人も少ないながらいるのですが、時折、何も言わずに黙ってしまう娘に友人たちは少し恐怖心を抱いてしまうようです(正直な友人がいることはとても素晴らしいこと!)。私たち夫婦もそんな娘の行く末を案じて、自分の表現を見出すきっかけに習い事をさせてみたのですがどうも長く続きません。大勢の前で発言したり、発表したりすることを極度に嫌がり、もし強制しようとするとそれに反応するかのように蕁麻疹のようなものが出てしまいます。
 そんなことを心配しながら日々を暮らしている時に、私の母が亡くなり、実家の古い家屋を受け継ぐことになりました。私たちの家族は新しく家を建ててしまったばかりですから、実家に住む必要はありませんでしたが、誰かに譲ったり、貸したりすることはどこか抵抗感がありました。家族の思い出が詰まったものがたくさんあり、できる限りそのままにしておきたかったのです。とは言ってもただ放置しておくと家はどんどん汚くなっていくといいます。
 何か良い方法がないかと娘を連れて実家の片付けをしている時でした。いつも静かな娘ですが、その日はやけに静かで実家には人の気配がしないようでした。何をしているのかと思い部屋を覗いていくと、リビングからもっとも遠い一室に娘が何やら真剣な顔で佇んでいるのが見えました。その部屋は、私の父が生きていたときはいつも鍵がかかっていた場所で、土曜や休日になると子どもたち相手に絵画教室として解放される彼のアトリエでした。娘はそこでかつて父が描いた私たち家族の肖像画を見入っていたのです。
 その日の夜、実家からいつもの住まいに戻ってきて、私はかつて父から絵を習ったことを思い出しました。父は画家、イラストレーターを生業としていて私はその背中をずっと見続けてきました。しかし、それは私にとって苦しいことでもありました。小さな頃の私は父の姿が格好良く見えてよく真似をしてキャンバスに向かって無邪気に絵を描いていたのですが、年齢が上がるにつれて、私には才能がないことを突きつけられるようになったからです。そのことで両親から何か冷たい言葉を浴びせられたとか、そういったことはありません。私はあまりにも残酷な事実に目を背けるように自分から身を引いていったのです。
 こうした苦々しい記憶と一緒に思い出したのは、小さな頃は絵によって自分が解放されていく感覚でした。私も自分の娘のように小さな頃は自分を表現することがうまくできず、大きな誤解を受けて苦しんでいた時期がありました。絵を描くことを通じて、私は閉じ込めていた自分の一部を外に吐き出す、救済のようなことができていたのだと思います。それが私にとって絵を始めたきっかけだったのです。
 父のアトリエへの訪問から数ヶ月後のこと。滅多にないことなのですが、「絵を学んでみたい」と娘の方から話がありました。私はびっくりすると共に何か人生の上で引っかかっていたものがふいに消えていくような感覚になりました。もし娘からそのような打診があったならば、私も一緒に絵を描いてみよう、とその数ヶ月間、夢想していたからです。そうすれば娘の考えていること、表現したいことも理解することができるかも知れませんし、私自身ももう一度、捨て去ったものを取り戻すことができるかも知れない。そのような予感があったのだと思います。
 今、私たち親子の楽しみは週末になると、実家の父のアトリエに行き、並んで絵を描くことです。そこでは説教じみた会話はいりません。時間も忘れて手を動かして、絵が出来上がったらお互い見せあって、言葉を交わす。「こうしたらどう?」「この色だったら?」そうしたことをやりとりしているうちに、私は娘に対して心配していたことが嘘のように無くなっていきます。そして、面白いことに自分に対する不安も同様に消えていくのです。
 目下、私たちの目標は父が開いていたような絵画教室を再開すること。まだ人様に見せられるレベルではありませんが、近いうちに実現できたらと思っています。

 
 

*本記事は読者さんから送っていただいたテキストを元に、誤字の訂正や読みやすさを考慮して改行などを加えています。

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