さよならのあとで

 私が最初に近しい人の「死」というものを体験したのは、幼稚園に通っていた頃でした。その時、「死」というものがどのようなものか絵本などの物語でしか擬似体験していなかった私は、どのように反応して良いのかわからなかった記憶があります。絵本や物語で擬似体験する「死」は悲しいものですが、それが自分の近しい場所で起こることにあまり現実感がなかったのか、あるいは、生前、私に優しくしてくれたその人が世界からいなくなるということが一体どのような作用を及ぼすのか想像できなかったのかもしれません。漠然と周囲の人が悲しんでいるのを見て、これは悲しいことなんだとどこか主体性を失ったまま時が過ぎ去っていきました。
 それから私はいくつかの近しい人の死別を経て、少しずつ主体的に悲しみというものに向き合っていきました。祖父や一時期に一緒に暮らしていた祖母、愛犬などとの死別。人として成長して、ようやく「死」というものの意味を自分ごととして捉え始めたのだと思います。
 そのような近しい人の「死」を体験した幼い頃の私は、両親に「死は恐ろしいものではない」と教わりました。彼らは「ただ、となりの部屋に移っただけ」と (両親はクリスチャンですのでその部屋を「天国」と呼んでいましたが)言うのです。幼い頃の私はその言葉に随分助けられたような気がします。そして、私は近しい人の「死」を受け入れていく過程の中で、自分自身の「死」、ひいては「生」の在り方を考えるようになりました。
 こうした身近な人の死別を経て、その悲しみから立ち直り、前に進んでいく過程のケアを心理学用語で「グリーフケア」と言うそうです。私は大学生の頃、心理学の講義でこの言葉や考え方に出会ったのですが、この概念を知ったことは私の人生を豊かにしてくれたと感じています。理由は様々ですが、その中でひとつだけ挙げると、悲しみから人が立ち直る過程には、人が生きることをもう一度捉え直すこととも繋がるのだと思うようになったからです。
 今回ご紹介する『さよならのあとで』には、そのようなエッセンスが詰まっているように思います。身近な人の死別を受けて悲しみに沈んでいる人に寄り添い支えてくれながらも、同時に「死」を通じて生きることの意味をそっと教えてくれるような。「死」というものは自然であるということ、存在しているということは決して物質的なことだけではないということが静かに語られているのです。
 きっと読み始めると、ヘンリー・スコット・ホランドの美しい心を打つ詩と、絵本作家である高橋和枝さんの柔らかい絵によって、それらが静かに自分の内に染み込んでいくのがわかると思います。個人的には、悲しみの最中に贈るというよりも、自然に日常生活の中に置かれていたら良いなと感じます。ふとした瞬間に、子どもが本棚から偶然発見するというような、そんな出会い方であったらなと。

 
 

『さよならのあとで』
詩 | ヘンリー・スコット・ホランド
絵 | 高橋和枝
発売日 | 2012年1月27日
出版社 | 夏葉社
natsuhasha.com

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