もりのおばけ

 小さな頃から怖いお話しが好きで、両親にねだってよく読んでもらっていました。『すてきな三にんぐみ』や『グリム童話』など、残酷で不気味な空気感がどこかに漂っている物語を、安全な両親の布団の中で読んでもらう。冬に暖かくした部屋でアイスを食べるような状況のコントラストが好きだったのでしょうか。こうした趣向は大人になった今でも変わらず、エドワード・ゴーリーの絵本などに繋がっていきますが、こうしてあらためて考えてみると、一体、私はいつから恐怖という感情を覚えたのか、不思議に想うことがあります。
 一歳となる娘を観察していると、彼女にはまだ明確な恐怖というものがないように感じます。たとえば、車が凄い勢いで走っている車道を平気で突っ切ろうとしますし、陸橋の上から川を眺めても怖がる素振りすらしません。唯一、暗がりだけは怖いようで、夜、私たち親がいない時に起きると泣き出します。もちろん、単純にお腹が空いたとか、機嫌が悪いというようなことが原因かもしれませんが、暗がり、闇というのは人間が根源的に恐れをなすものの一つである可能性は高いように思います。
 自分の幼少期のことを思い出すと、原体験として最初に怖いと感じたのは、両親とお祭りに行ってはぐれてしまったことだったような気がします。今ではなかなかそのような感情を体感することはできませんが、親という安全な場所から離れることは大きなストレスだったのでしょう。
 『もりのおばけ』を何度も読むようになったのは、おそらく、そのような親から離れてひとりぼっちになった経験があった後のことだった思います。弟と二人で森の中に入ったはずなのに、いつまにか一人ぼっちになり、おまけにおばけが現れる。しかし、小さな頃の私はおばけにはあまり恐怖を抱いたという印象はありません。むしろ、愉快な生き物たちという印象の方が強かった。それよりも、奥行きがある薄暗い森の方が怖かったという記憶があります。森から一生出ることができず、ひとりぼっちで家族のもとに帰ることができない。きっとそうした精神的な恐怖心があったのでしょう。
 これは大人になった今でも変わらず、「孤独に生きる」ということに私は強い恐怖心を抱いています。あらゆる恐怖は経験(擬似体験も含めて)によって、ポジティブに言えば生命や精神の安定を保つために獲得していくものだと思いますが、小さな頃に植え付けられたせいか、孤独に対する恐怖はとりわけ私の中で大きいものです。そのような意味で、『もりのおばけ』は、孤独に対する恐怖を繰り返し学んだ絵本とも言えそうです。
(文 佐々木 新)

 
 

もりのおばけ
作・絵: かたやま けん
出版社: 福音館書店

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