毎年8月上旬、広島や長崎の平和記念式典の報道がなされると、戦争のことを考えます。実体験はありませんが、広島と長崎の投下された原子爆弾をテーマした映画や本や写真を通じてその惨禍を想像してしまうのです。記憶にこびりついて離れないのは、写真として記録された肌が焼けだれたこどもの姿です。罪のない市民の命を一瞬で奪い、生き残った方も後遺症で苦しめる原子爆弾。そして戦争そのもの (日本がアジアで行ったさまざまな悪行も含めて)。一体何のための戦だったのか。いまだに世界では血を流す紛争や戦争が行われているのを見ると、人間はどうしてこうも愚かなのか考えざるを得ません。戦争の実体験のない私たちの世代ができることは、やはり戦争の愚かさや虚しさをこどもたちに伝えていくことだと思っています。
ジェームズ・サーバー著の「世界で最後の花」は戦争をテーマにした寓話の絵本です。戦争を扱った作品の多くは深刻で目を背けたくなるような表現が多いですが (もちろんこのような表現も大切です)、本書はシニカルでユーモアたっぷりの読みやすい内容になっています。小さな頃から目が悪くぼんやりとしか見えなかったというジェームズ・サーバーらしい柔らかいタッチの絵で淡々と物語は進行していきます。
第十二次世界大戦 (もちろん寓話ですが何と多いことでしょうか!) が起こり、世界の文明は破壊されてしまいます。森も家も芸術も、そして愛さえもない。人間は長い歴史で親交を深めた最愛の動物の犬にまで見放され、ウサギには襲われ、惨めな状態で生き続けます。やがて一つの花が生まれ、その周りに少しずつ緑が増えていきます。緑が生まれると愛が生まれ、人々が集まり、街をつくり、文明が築き上げられていく。人類がまたこの世界を謳歌するかに思えた頃、再び争いが生まれ、戦争へと発展していく。
きっと読者の方は何度も繰り返される惨劇に呆れ果ててしまうでしょう。でも、あながち本書を責めることはできない。人類史を紐解いても、私たちは絶えず争いを続けてきた生き物です。戦争には至らなくとも、誰かと比較して不満を抱いたり、実際、攻撃したり、破壊したり。心の奥底では、誰かと比較し、羨み、他者のものを欲しいと願う。そうした欲求や悪意のようなものを本来人間は持っている生き物なのでしょう。そのことを自覚することから始めて、愚かであるからこそ謙虚に、美しいものを愛して (笑いも交えて) 生きよう、と本書では語っているように思えてなりません。
内容をしっかり理解するという意味では、幼児には少し難しいですが、絵がコミカルなので、パラパラめくっているだけで面白がってくれると思います。ぜひこどもとご一緒に読んで、戦争について、あるいはもう少し身近なところで、誰かのものを奪ったり、攻撃することなどについて考えるきっかけとなったらと思います。
(書評文 | mewl 佐々木新)