家族のかたち – 山田家 前編

 

 山田さん一家は、研一さん、美頼 (みのり) さん、白 (はく)くんの三人家族。東京都世田谷区のスポーツ施設やプレーパークなどがある公園の近くに住んでいます。その他周辺には、IID 世田谷ものづくり学校や小さなギャラリー、カフェなどがあり、カルチャー的にも豊かな大人の街です。家族で住んでいる人も多く、週末になると子どもたちが公園で遊んでいる光景をよく目にします。
 今回、山田家をインタビューさせていただくきっかけとなったのは、フェイスブックで研一さんの投稿を見たことでした。白くんの一歳の誕生日を記念して撮影された家族写真とともに、白くんが PVL (脳室周囲白質軟化症)と呼ばれる脳の障害を患い、この一年間、リハビリを試みてきたことが記されているのを見たのです。その文面は、オープンに障害と向き合い、少しでも多くの情報を得たいというポジティブな精神に溢れていました。同じ子を持つ親として衝撃を受けた私は、何かできることはないかと心に留めていたのですが、どのような苦しみを抱いているのか掘り下げて聴いて良いものかどうか随分迷いました。取材をすること自体が失礼にあたるかもしれないと思ったのです。
 それから、約一ヶ月近くどこか心の隅の方でそのことが気にかかっていました。考えていたのは、一体この mewl プロジェクトで何ができるのか、ということです。何度かこのメディアを通じて書いてきたことですが、家族の悩みや問題をオープンにできる社会、多様性を許容するコミュニティを私たちは目指してきたのではないのか、と。そのようなことを発信しておきながら、山田さんにお声がけしないことは双方にとって損失ではないかと。当然のことながら障害を抱えた子どもが暮らしやすくする社会を目指すこともその中に含まれる。置かれた状況や境遇は全然異なりますが、山田さんがフェイスブックで投稿して目指していることと、私たちが向かっているところは近しいかもしれない。あらためてそう考え直し、思い切ってオファーをしました。
 こうして山田さんの快諾を受けインタビューをすることになったのですが、ご夫婦ともに本当に前向きに障害を捉えており、むしろ、私たちの方がパワーを貰ったような気がします。子どもの障害とどのように向き合っていくのか、社会が障害者をどのように受け入れていくのか、療育チームと保育園や地域コミュニティとの連携、多様性を前提にしたインクルーシブ教育など、障害というひとつの個性によって、子育てや人との関係性の築き方が浮き彫りになるようなお話を聴けました。この記事を通じて、少しでも障害に対する知識が増え、偏見がなくなっていくことを願います。

 

 

二人で経営する会社『Y
多くの種を撒き小まわりが利く子育てをする
─お二人はどのような形で出会われたのですか?
研一さん:
会社に勤めていた時は、広告系のウェブ制作やサービス企画をしていたのですが、フリーランサーとして独立してから、領域が広がって、プロダクトや空間デザイン、最近ではブランディングやプランニングを行っています。妻とは、その内のひとつのプロジェクトで、撮影の美術さんとして知り合いました。
─現在では『Y』という会社を夫婦二人で経営していると聞きましたが、割と柔軟に自分たちのペースで家族の時間が作れるのではないでしょうか?
研一さん:
そうですね。僕の方が柔軟に動けるので、仕事にかこつけて色んなところに行くようにしています。例えば、僕は名古屋出身なのですが、そちらの方で仕事を受けているクライアントがあって、月に一回くらい帰省したり、妻の母方は秋田なので、そちらでも仕事が一つ生まれるように働きかけたりしています。
美頼さん:
夫は幅広くさまざまな領域で仕事ができますが、私の場合、専門が美術なので東京中心ですね。とは言っても、白が生まれてから一年間くらい育休をとらさせてもらっていたので、去 年から今年にかけてはコンスタントと言うよりはスポット的に頼まれたら仕事をするというスタンスでした。白も4月から保育園に入るので、本格的な仕事はそれからになると思います。ただ、子どものリハビリも今後は増やしていく予定なので、昔のように夜中まで働くというのは難しくなりそうです。特にCM撮影などは長時間労働になりますし、日程のコントロールもなかなかできませんから。

 

 

─一つの仕事だけでなく、複数同時並行にすることで働く時間を自由に決めたり、小まわりが利くような子育てをする人が増えてきたように思います。こうした働き方の中で何か気をつけていることはありますか。
研一さん:
リスク分散も兼ねて、僕はいろいろな場所に種を撒いておくことを心掛けています。例えば、会社にいた頃から、テラリウムと呼ばれる植物採集用の箱のブランド『TERRA』を始めたり、三軒茶屋で行っている地域密着型マルシェ『SUNDAY MARKET』に関わったりしています。たとえ、商業ベースに乗せることができなくても、多様な繋がりが形成されることが大切かなと思います。
─子育てのコミュニティはどうでしょうか。
研一さん:
同じくらいの子どもがいる友人、知人のところに遊びにいったり、来てもらったりすることが多いですね。ただ、あくまで個々の繋がりなので、子育てコミュニティと呼べるものではないかもしれません。白は4月から保育園に入るので、きっとそこを中心にコミュニティが生まれるのかなと思っています。

 

 

─山田家はいわゆる核家族にあたるわけですが、ご両親などのサポートはありましたか。
美頼さん:
白が生後5ヶ月くらいの時、私が40度近くの高熱を出して動けなくなってしまったことがありました。その時は、ちょうど夫も多忙で、仕方なく両家にヘルプを頼んで東京に来てもらったのですが、「子育てのブランクが長すぎてできない」という結果に終わりました 笑
研一さん:
親が子育てしていた時代は布オムツだったり、昔より随分勝手も違ってきていますし、逆に自分たちが教えなければいけない状態で 笑 単純に慣れていない、というか忘れてしまっていたのです。白がもう少し大きくなれば、面倒も見てもらえるのでしょうけれども。月齢がまだ短いとなかなか難しい。だから、それ以来、どうしてもという時はベビーシッターさんにお願いすることにしています。

 

 

─そういう選択肢もあるのですね。実際、ベビーシッターさんにお願いしてどうでしたか。
美頼さん:
前日に予約をすればベビーシッターさんが来てくれる『キッズライン』というサービスがあって、凄く助けられています。ただ、病児、障害がある子は見られません、といった様々な制約はあるのですが、白はまだ乳児で発達に関してもグレーであったので引き受けてもらえました。ここに登録されているベビーシッターさんは、保育士の資格を持っている方々なので、安心して任せることができます。5分ごとに生存確認の連絡をくれたり、足形をとってくれたりしました。
研一さん:
保育園では延長保育もありますが、夜どうしても仕事が終わらないという親も結構いますからね。僕らでいえば、撮影などはどうしてもその日の内にやっておかなればいけないことなので、本当に助かっています。もちろん、田舎のように祖父や祖母、親族が周りにいれば良いのでしょうけれども、都心では核家族も多いので、頼りたくても頼れないというのが現状だと思います。

 

ベビーシッターさんにとってもらった白くんの足形

 

─先月「家族のかたち」でインタビューをした、同じ東京で子育てをしている東家は独自で、”頼る頼られる”のコミュニティを形成して子育てをしているようですよ。
研一さん:
なかなか東京で親に頼ることもできないので、そのようなコミュニティの可能性を開拓していきたいですね。僕たちでいえば、住んでいるマンションで同じくらいの子どもがいる家族たちと、”頼る頼られる”の関係性を作るコミュニティができたらなと思っています。
美頼さん:
私の実家はマンションで、幼少期は隣の家族のところに預けられたりしたので、そうしたコミュニティには抵抗感がありません。近所付き合いで”頼る頼られる”の関係性が生まれたら嬉しいですね。それから、同時に白の持つ PVL (脳室周囲白質軟化症) のコミュニティも築いていきたいと思っています。

 

白くん一歳の誕生記念で撮影した家族写真

 

出産退院前に告知された PVL (脳室周囲白質軟化症)
障害とどのように向き合っていくのか
─白くんがPVL (脳室周囲白質軟化症) だと知ったのはいつ頃だったのでしょうか。
研一さん:
妻は切迫早産で一ヶ月半入院して、NICU (新生児集中治療室) に移され、そのままGCU (回復治療室)へ入りました。妊娠22週から36週が早産のラインですが、生まれたのは33週6日で、 体重は2200gくらい。それでも医師からはおそらく大丈夫でしょう、と言われていたのですが、早産はさまざまなリスクが引き起こされる可能性が高いので何度も検査をしました。そ して、医師の言う通り、出産自体は無事に終えたのですが、退院の前日にMRI (磁気共鳴画像)の結果が出て、そこでPVL (脳室周囲白質軟化症) だと告げられました。

 

 

─初めて聞く名前なのですが、PVL (脳室周囲白質軟化症) とは一体どのような疾患なのでしょうか。
研一さん:
僕も告知されるまで全く知りませんでした。切迫早産も急だったので、心の準備が追いつかなかったのが現状です。何しろ、早産になりそうだと言うことを知らされて、僕は産婦人科を舞台にした漫画『コウノドリ』を読んだりしていたのですが、そこでも出てこないような疾患名でしたので。
担当医からは、MRI の結果も見ながらどこかのタイミングで酸素がいかなくなって、脳の一部が壊死してしまっていると伝えられました。この疾患は、主に下肢につっぱりなどの麻痺があらわれるもので、立ったり、歩いたりといった行為が困難になる場合が多く、脳の障害部位によっては、目の障害 (視知覚認知・斜視・遠視など)、てんかん、ウエスト症候群などの合併症を併発する場合があるそうです。総じて言うと脳性麻痺ですね。ただ現状、白が軽度のものなのか、重度のものなのかはわからないということでした。

 

 

─治療はできないものなのでしょうか。
研一さん:
現代医療では脳を治すということはできません。ただ、先生曰く、リハビリを続けて、脳が発達していく中で、他の神経繊維が壊死した部分を補うようなことになれば症状も軽くなるかもしれない、ということでした。一応、セカンドオピニオンとして小児を専門とした病院の脳神経科で診断してもらいましたが、概ね同じような見解でした。とにかく筋肉を動かさないことには、本当に動けなくなってしまうので、リハビリは持続的にやっていかなけ ればいけない、と。

 

美頼さんと白くんを繋いでいた「臍の緒」

 

─現在はどのような形でリハビリを行なっているのですか。
研一さん:
以前は医師の診断を受け、生後5ヶ月くらいから月2回ほど療育を行なっていました。でも、これでは数が少ない。もちろん、家でも先生から指導されたことを実施してはいたのですが、それが上手く機能しているかどうかもわからない。だから、もうちょっと短いスパンで継続的に見て欲しい、と病院側に相談しました。けれども、人手が足りずにそのような体制 を整えるは難しいと。そこで、病院から紹介された、民間の療法士に毎週訪問してもらい、週一でリハビリを行うようになりました。他にも、東洋医学の力を借りて、難病専門でPVL(脳室周囲白質軟化症)の実績がある鍼治療院へ行ったり、できることはいろいろ試している状態です。

 

 

─リハビリのペースをあげたのは、何かきっかけがあったのでしょうか。
研一さん:
白の保育園入学にあたって発達状況を書かなければいけませんでした。そこで、あらためて 診断してもらったのですが、1歳手前くらいなのに通常の6~7ヶ月くらいの発達しか見られなかったのです。それまで、僕たち夫婦は焦らずゆっくりやっていければと考えていたので すが、診断で目が覚めたというか。このくらいの小さな子どもであれば日々、脳の神経組織 も発達していくものですから、そのタイミングにふさわしい療法があったのではないか、と後悔することになってしまって。やはり、のんびりではなく、本格的に向き合ってしっかりやっていかなければいけないと考え直したのです。

  

 
 

[後編に続く]

聞き手 : 佐々木新 aratasasaki.com
写真 : 井手勇貴 www.yukiide.com

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