家族のかたち – 大森家 後編

 

 大森さん夫婦は現在、雄大な岩手山と姫神山を一望できる自然が豊かな地、岩手県盛岡市西松園でふたり暮らしをされています。大森不二夫さんは盛岡市出身で長年に渡り地元で記者をやられており、大森紀代美さんはキリスト教関連の書店で働いています。おふたりのお子さんは三人。それぞれ仕事や勉学の為に、生まれ育った場所から離れた県外に住んでいます。
 おふたりのお話しを聴きたいと思ったのは、その人柄に触れ、とても魅力的な方々だと感じたことでした。おふたりの性格は異なるのですが、共通することは若い私の話を熱心に聴いてくださること。話し手の言葉を遮ることなく、最後まで待って、自分の話に展開していく。その姿勢が実に心地よいのです。聞き手である私は、実際におふたりのお子さんたちと話したことはないのですが、きっとこの方々に育てられたのなら素敵な生き方を歩んでいるのだろう、とそう直感しました。
 大森家を訪ねると、岩手の木材で作られた空間に、感性を育むさまざまなジャンルの本や、アートなどの品々が並び、穏やかな空気が流れています。庭には、子どもの悪戯のように玩具がところどころに隠されていて、どこか遊び心が溢れています。小人が迷いこんだなら、きっとこの家が気に入って住み着くだろうなと感じるような家です。
 おふたりのお話しを聴いていく内に驚いたことがあります。それは、私たちのマガジンでも掲げている「多世代」「多様性」の交わりというテーマをずっと大切にして子育てをしてきたということ。おふたりの馴れ初めは、何と「多様性」をテーマした同人誌なのです。何か世代を越えてシンクロニシティ(*1)を感じた、貴重なインタビューとなりました。

 

 

期待して、期待しすぎない
子育ての芯となったのは祈り
─子どもに薦めたいこと、哲学や思想、あるいは文化がある場合、どのように伝えていますか?
紀代美さん:
哲学や思想などという高尚なことではありませんが、小さい時は絵本の読み聞かせを積極的に取り入れていました。これは親子で楽しめたことの一つです。あとは本物を見せよう!と美術館にもよく連れて行きました。美術の教科書に載っていたフランク・ステラ展や、奈良美智展も家族みんなで出かけました。
こどもたちの成長とともに、親も欲が出てきて、ただ楽しむから役に立つようにと、こんな本読んだら?とかだんだん押し付けがましくなってきて。親と子どもは凄く近い場所にいるから、強く勧めるとどうしても反発するようにできているというか、勧めれば勧めるほど嫌がられて。
だから、あまり「ああしない、こうしなさい」というような事はなるべく言わないようにしてきたつもりですが・・・ついつい言ってしまっていたかもしれません 笑
不二夫さん:
盛岡市出身のある詩人が「期待して期待するな」と言った言葉を思い出しながら、あまり期待や強制はしないようにしているのですが。ただ、独学で人生を切り開いてきた人たちの人生を知ってもらおうと、安藤忠雄、五木寛之、大平光代さんらの生き方や作品、本などは折に触れ、話題にしていましたね。人生は紆余曲折があり、多様な生き方があることなどを、少しは知ってもらおうとしていたのかな。読んでほしい本などは、テーブルの上に、何気なしに置いていましたが、ほとんどスルーされていましたね 笑。大人になってからですが、勧めた作品を見たり、本を手にしたりすると、感想などを話してくれるようになりましたけど。

 

さまざまなジャンルの本が収められた倉庫

 

─子育てをして苦しかった時期はありますか?
紀代美さん:
子どもが初めて生まれて初めて抱いた時、本当にふんわりやってきたのですけれども、同時に精神的にずっしりとした重みがありました。未熟な私がこの子を本当に育てられるのかな、という不安です。急な発熱や、怪我、喘息の発作で苦しんでいる時は代わってあげられたらどんなにいいかなと思いました。とにかく祈っていました。

 

 

─家族の中でも多様性の価値観が尊重されていたのですね。
不二夫さん:
若いころから、地域の国際交流関係の取材をしていたことがあり、それが縁で我が家がホームステイの受け入れ先なりました。外国からの留学生らが多いのですが、いろんな国の人が泊まりに来て普段着の交流をしてきました。子供が小・中学生の頃、モンゴル人が、数日間、泊まりました。日本人とは違う行動や食の違いなどに驚きながらも、一緒に歌ったり、スポーツしたりして楽しんでいました。帰国する際には別れが辛くて、子どもたちが大泣きしていました。言葉はわからなかったのですが、身振り手振りでコミュニケーションを図っていましたね。多様な文化があることを、自然な形で体感していたのではないでしょうか。

 


 

「Agree to Disagree」
お互いの意見が合わないという事を認め合う
─価値観の違いなどで夫婦喧嘩をする時はどのようにしていましたか?
紀代美さん:
大抵、私が感情を抑えきれなくなって喧嘩が始まってしまいます。「A」と「B」の違う価値観や考え方がぶつかることによって突破口「C」が生まれればいいのですが、なかなか。私は、喧嘩すれば、なかなか引かない性格ですので。
不二夫さん:
「A」と「B」がやんわりぶつかってしまうと「C」が出てこないですね、我が家の場合は。だからというわけではないですが、結構、激論もありました。特に若い時と、子供たちの進路などに関しては。

 


 

─喧嘩をしたりして頭に血がのぼっているとなかなか難しいことかと思いますが、「C」を生み出す時に意識していることはありますか?
不二夫さん:
あなたの意見には賛成できないけど、その意見の存在は認めるという「Agree to Disagree(アグリー・トゥ・ディスアグリー)」という言葉がありますね。子供が10代になったくらいでしょうか。喧嘩がエスカレ―トして、袋小路に入れば、その言葉を思い出すことがありました。自分の意見が通じず、怒っている時、なぜそのことで自分がこんなの怒っているのだろう、と自分に問いかけてみたりすることも。そんな時は、Cが生まれやすいですね。それと、喧嘩しても喧嘩別れにならないような場を維持すること。これは、結婚した時からの協定ですかね 笑

 

 

紀代美さん:
本当になかなか変わらない 笑
でも、散々若い時からぶつかってきたから、角がなくなって丸くなってきたように思います。諦めではなく寛容性が出てきたのかもしれない。

 



 

「ねばならぬ」がなくなり、より柔軟に役割が変化する時代へ
「待つ」と自分にあった答えが自然にあらわれてくる
─夫婦の役割について意識が劇的に変化してきています。お二人はこのことについてどのような考えをお持ちですか?
不二夫さん:
私たちの時は、子どもは母親が見なければならない、男は働きに出なければならない、というのが当然という意識が強かったのですが、最近では一緒にやっていこうという流れになってきました。きっとこれからは「ねばならぬ」がなくなっていき、より柔らかい意識が求められるのではないでしょうか。男性の中には女性の部分、女性の中にも男性の部分があったりする。これからの時代は、男性が子どもを育てたり、女性の方が社会で稼ぐ力を持っていたら、働きに出るのを男性がサポートするのでしょうね。すでに、そのような家庭もありますが。役割を固定化するというよりも、より柔らかく流動的なあり方が求められているように思います。
紀代美さん:
私が子どもの頃には考えられなかった在り方になってきてびっくりしています。私たちが小さな頃は、線を引かれたように分けられていましたから。
確かに子どもは女性しか産めないわけですが、育てる事は男とか女とか、若いとか年をとってるとか関係なくできるはず。これからどんどん多様化していく社会だから、それぞれの境界が溶けていって、繋がりあっていけば良いのにと思います。ちょっと話がそれるかもしれませんが、虐待が多くなっていますが、それは、男女、母親父親、親子、家族など、役割や理想像に縛られ生き辛くなっていることも要因ではないかと感じています。「助けて」という声を発しやすい社会、そしてその声に、声にならない声にもっと周囲にいる私たちでしっかり耳を傾ける必要がありますし、個人の責任ではなく、社会全体で関わってあげることが重要ではないかなと思います。

 


 

─お二人は小さな頃、どのように育てられたのですか?
不二夫さん:
私は中学生くらい頃まで、やんちゃな子供でした。それでも、両親はどんな私でも愛してくれて、好きなことをめいっぱいやらせてくれました。中学校のクラスはやんちゃな子供が集められた実験的なものだったらしいのですが、仲が良く、今でも友人たちとお茶しています。
紀代美さん:
とにかく怒られた記憶というものがありません。本当に可愛がってもらい、期待もされていました。

 

Happy Merry Christmas !!!

 

─それぞれ盛岡と仙台に住んでいた訳ですが、どのようにしておふたりは出会ったのでしょうか?
紀代美さん:
20代の頃、盛岡へ旅した時、「彩園子」というお店にふらりと入ったのがきっかけでした。江戸時代に建てられた土蔵をギャラリーにした「彩園子」の二階には、「一茶寮」という喫茶店があり、そこでお茶をしました。その店に、夫が仲間たちとやっていた同人誌『Neo Stone』を手に取り、読みました。いろんなジャンルの人が好き勝手に書いていたその面白さに、惹かれました。そして、その場で同人誌を購入し、仙台に持ち帰ったのです。帰ってからじっくり読むと、どうやら次号のテーマが”恋愛”ということがわかりました。その時の想いのたけを手紙にして送りました。そうしたら、編集部から連絡がきて、盛岡で夫と直接会うことになったのです。それが、出会いです。まさかそれが縁で、一緒になるとは 笑
不二夫さん:
原稿を手紙でくれる人なんて本当に稀で、とても驚いて嬉しくなりました。原稿を書いて、手紙に入れて、切手を貼って投函、という結構エネルギーが必要な作業を積極的にやってくれることに感動してしまって。縁ですね。『Neo Stone』は、その頃から多様性を一つのメーンテーマにしていました。

 

 

─最後に子育て現役中の若い世代に何かメッセージをいただけますか?
紀代美さん:
若い世代にメッセージというとおこがましいのですが、自分の子どもたちに対して、私たちの元から離れていく時、「自分の可能性に蓋をしないで何でもやってみて」と伝えました。もしも上手くいかないことがあったら、いつでも駆けつけてサポートするからね、と。
それから、周りに若い人たちが来ると無性に応援したくなるから、「実家のお姉ちゃんくらいに思って、何でも言ってちょうだい」と伝えています。「あなたのこと、いつでも応援させてください」とそう思っています。
不二夫さん:
何かあったら少し「待つ」ということでしょうか。子育てでも人生でも「待つ」ことの大切さを痛感しています。早急に対応したり、答えを出さなければならない場面もあります。しかし、待つことが必要な状況もありますね。大人が、子供に性急に答えを出させようとしても、子供はそう簡単に答えを出してくれない。大人である親がじっくり待たないと、子供からは本当の思いが出てこないですね。ネット時代は、多くが瞬時に答えが出る社会。でも、子育てには時間が必要なこともあります。待つことは、今も私自身が今も心がけでいることであり、子どもたちを通じて、「待つ」ということの大切さに気づかされています。
紀代美さん:
私たちが子どもたちを育てたというよりも、私たちが子どもたちに育てられていたのですね。ずっと、互いに学ぶ合う関係であればいいですね。

 

 
 

注釈
*1 シンクロニシティ: 虫の知らせのようなもので因果関係がない2つのことがらが、類似性を持つこと。
前編にこちら

 

 

聞き手 : 佐々木新 aratasasaki.com
写真 : 井手勇貴 www.yukiide.com
>「家族のかたち」シリーズはこちら

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