ぐりとぐらのおきゃくさま

 青年になるまで、11月から12月のクリスマスシーズンは少し寂しい心持ちになっていたものでした。幼い頃はなぜそうなるのかあまり理解していませんでしたが、振り返ってみると、この季節になると父は出張が増え、家を空けることが増えていたせいかもしれません。職業柄仕方がないということもあり、そして、長男としては駄々をこねることもできずに、不満をぶつけることはほとんどなかったように思います。
 しかし、それでも、クリスマスシーズンは子どもにとってやはり特別だったのだと思います。贈り物として子どもの絵本が売れるシーズンだけに、父は大量の絵本を家に持ち帰って、私たち子どもに絵本を紹介してくれて (父としては子どもの反応が見たかったのだと思います)、その体験が何より楽しかった。もちろん、父はそこから数日間、出張でいなくなるので、結果、寂しさが残るのですが、帰ってくる時には必ず新しい絵本と出張先のお土産が持ってきてくれました。
 そのような目まぐるしくクリスマスシーズンに出会ったのが、『ぐりとぐらのおきゃくさま』という絵本でした。マントに帽子、長靴を履いたぐりとぐらが雪で覆われた真っ白い世界で大きな足跡を追跡する。もう最初の出だしで幼い頃の私は大いに魅了されたことを覚えています。どこまでも続く真っ白な世界へ飛び出していく、子どものどこか不安で、それでも抑えられない好奇心が、最初の数ページで巧みに描き出されています。
 岩手県という雪国生まれの私は、後に雪に残った足跡の追跡を何度もすることになるのですが、覚えている限りおそらく疑似体験としては『ぐりとぐらのおきゃくさま』の追跡劇が初めてだったのではないでしょうか (思い返してみると、もう少し大きくなってから、雪が積もった早朝、誰かを驚かせたくて、人が通らなさうな場所をあえて歩いて、大きな足跡をつくった記憶もあります)。雪の上についた足跡からその人がどのような人物であるか想像したり、動物の足跡だったら何をしにやってきたのか推測したり、単純に自分の足と比べてみたり。雪を思う存分楽しんでいたような気がします。
 本書では、ぐりとぐらが追跡した足跡は、やがて彼ら自身の自宅へと続き、思わぬ訪問者と出会うことになるのですが、その過程でぐりとぐらが冬にどのような部屋でどのように過ごしているかを垣間見ることができます。これが子ども心に実に楽しかった記憶があります。暖炉の上にロープがあってそこに洗濯物を干していたり、ベッドの頭の部分に帽子をかけていたり、暖かそうな掛け布団が用意されていたり、バスルームには二人用にタオルや歯ブラシが置いてあったり。どのように二人が生活をおくっているのか、何を大切に生きているのかが想像できて、それを自分と比較するのが本当に楽しかった。
 あらためて本書を手に取り、我が子と一緒に読み進めていくと、過去の自分の記憶が流れて混み、懐かしい冬の感覚を取り戻していくようです。幼い子どもを置いて、父は仕事に向かい、どのような感情を抱いていたのか。母は父が留守にしている間、子どもたちにどのような心持ちで接していたか。私自身、親となり、子どもを通じて、父や母を想うことがとても増えたような気がしています。雪がしんしん降るクリスマスシーズンは、静寂が似合う、内省的な季節ですから誰かに想いを馳せるにはとても良い季節なのかもしれません。とても個人的な体験ですが、『ぐりとぐらのおきゃくさま』はそのようなきっかけを与えてくれる大切な絵本です。

 

(書評文 | mewl 佐々木新)

 
 

『ぐりとぐらのおきゃくさま』
なかがわ りえこ 作
やまわき ゆりこ 絵

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