[Our Family] こどもとおもちゃ

 娘のみどりが2歳10ヶ月となり、自分の意思を伝えられるようになってきたことで、親として悩むことが増えてきました。もちろん、こどもの自我の芽生えと発達を喜ぶべきなのですが、どうしても自我の衝突によって疲弊してしまうことにフォーカスしてしまいます。親子といえども異なる個人であり、違いは当たり前だと頭で理解していても、心がついてこないような感覚です。
 最近、我が家で起こった問題は、おもちゃに対してでした。みどりが1歳の頃までは私たち夫婦が選んでいた玩具に文句一つ言うこともありませんでした。しかし、2歳を過ぎたあたりから、自己主張 (好き嫌い) が強くなってきて、欲しいものが明瞭になってきました。こどもなりに我慢している場面もあるかもしれませんが、自分の意見が通らないと大きな声を出して泣いたりします。そのような状況になると、もう手がつけられず、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。率先してこどもの欲求を満たしてあげる、という方法をとることも少なくありませんが、主張がぶつかって疲弊することがわかっていても、「NO」と主張しなければいけないときもあります。
 おもちゃに関しては、こどもの欲するおもちゃと親として薦めたいおもちゃが根本的に異なることが衝突を生んでしまいます。注意深く言葉を選ばなければいけませんが、個人的に私は一般的に社会で流行しているようなアニメのキャラクターのおもちゃを好ましく思っていません。理由はいくつかありますが、最大の理由はキャラクターのおもちゃに、本来はプロダクトとして内包するべき知恵や学び、文化としての厚みのような背景/文脈が薄いということが挙げられます。おもちゃに限らず、私たち夫婦が何かモノを選ぶ時、その会社の文化的、社会的背景に鑑みて、半ば応援するような気持ちで購入をします。娘が欲しがるおもちゃはそうした観点で見ると、どうしてもお金を払う価値がないものに写ってしまうのです。
 こうしたおもちゃに関する価値基準は、ある程度、夫婦間で共有しているつもりでしたが、先日、妻と意見が衝突してしまいました。どうしてそのような状況になったかと言うと、おそらく、娘が保育園に通い始めたことで、友人が増えて、その結果、良くも悪くも社会の影響を受けやすい環境になったことが大きいでしょう。つまり社会的に流行しているようなキャラクターやおもちゃに接する機会も大幅に増えたのです。そうなると娘の認識としては、まわりの多くの友人が、親としての私があまり好まないキャラクターのおもちゃに興味を持ち、(周囲に比べて) 自分だけが持っていない、という状況があからさまにわかってくるようになりました。
 きっと、3歳児くらいの年齢の自己主張は、自分の意志というよりも社会の刷り込みに拠るところが大きいと思うので、すぐに関心は移り変わっていくものかもしれませんが、欲しかったのに購入してもらえない、という記憶が大人になっても残るのは、可哀想だという心情も親として芽生えてきます。と同時に、私たち夫婦がこどもに薦めたいおもちゃはただの押し付けであり、実は全くこどものことを考えていないのでは? という問いが大きく眼前に置かれたような感覚がします。その選択は果たして正しいことなのか? 一過性のものだからと捉えて、素直にこどもが欲しがるものを購入してあげればよいのではないか、と。
 そのように一瞬考えましたが、妻とディスカッションしていくうちに、私個人として、大きな流れに乗るのではなく、なぜそれを選ぶのか、という疑問とともに根本に立ち返り、常にオルタナティブな生き方を模索してきたことがあらためて自分の核となることだったことを思い直しました。”周りで流行しているから”、”一過性のものだから”という安易な選択はやはり選びたくないなとそう感じたのです。だから、娘が欲しいおもちゃ対してのオルタナティブ、あるいはカウンターとして、別のおもちゃを提案するということにいま挑戦しています。
 具体的には、有名無名/国内国外問わず、優良なおもちゃ選びの指針として立ち上がった GOOD TOY のサイトから、おもちゃの作り手の意図や背景をリサーチし、夫婦で厳選した中からこどもたちに選んでもらって購入するという試みを考えています。
 最初、妻とおもちゃの話をした時は、まさか自分たちの生き方や思想観のようなものまで炙り出されるとは思いませんでしたが、何かを選択するということを突き詰めると、その人間性が浮かび上がるということを久しぶりに体感した出来事でした。自我のぶつかり合いによって、結果、私が許容できることと、できないことに線が引かれ、こどもに対する姿勢が少し明瞭になったような気がします。
 もちろん、こどもにとって大切な遊びに関わるおもちゃへの答えはこれから試行錯誤する中で見えてくるものなので、今後はゆっくりこどもと一緒にあそびながら探っていきたい。
(文 佐々木 新)

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