カインコンプレックスと子どもたちの輪

 第二子である「青」が誕生してから4ヶ月が過ぎました。私が自宅で仕事をしているということもあり、平日は妻と子どもたちは妻の実家に行き、週末や休日なると紫波町の家に戻ってくるという生活をおくっています。
 青が産まれる以前から薄々は予想していましたが、幼い子どもがふたりいるということはかなり気を張っている必要があり、なかなか仕事をする空間と同じ場所で育児をすることは難しいと実感しています。長女「緑」を保育園に入れることも検討しましたが、秋からの入園は難しいこともあり (そもそも共働きでないと難しい) 断念することに。その為、一週間の大半をいわば単身赴任 (妻と子どもが行くので逆ですが) のような形で過ごしています。
 子どもがふたりになったことでまずどうしても書きとめておきたいことがあります。それは上の子の方が下の子に嫉妬するということ。どうしても母親は新生児に授乳したり (ミルクにすれば多少は変わるのでしょうが、なるべく我が家では母乳を飲ませています)、抱っこしたり、常に傍にいて面倒をみなければいけませんので、上の子としてこれまである種独占状態だった愛情の割合に変化が起こってしまいます。下の子が産まれた時点で、ある程度の年齢に達していれば理解してくれるかもしれませんが、まだ二歳になったばかりの「緑」にそれを求めるのは酷なことでした。
 私が遊び相手になったりしますが、母親をとられたという意識が根底にはあるのだと思います。弟の存在が気になって可愛がるのですが、困ったことに目を離すと思いっきりつねったり、叩いたり、暴力をふるってしまうのです。もちろん、親が常に目を見張っていれば良いのですが、一瞬の隙をみて、そのような行為をされてしまう。気になって、私の母親に幼い頃、私自身どのような態度を弟に行なっていたか (私と弟は3歳差) 尋ねてみると、同じように嫉妬をしていたようです。ただ、つねったりといった暴力ではなく、必要以上に抱っこをお願いしたり、注目を集めようとする行動に出たり、いわゆる「赤ちゃん返り」のような行為だったらしいので、我が娘の行く末が不安になり、妻と家族会議を開いた夜もありました。
 ふと思い立って、学生時代に学んだ兄弟間の嫉妬や憎しみのあらわれるカインコンプレックス(同胞葛藤)を、久しぶりに調べてみると、古来から似たようなことが繰り返されてきたようです。(名前の由来となった)旧約聖書で有名な物語では、兄のカインと弟のアベルが、兄弟間で競争心を燃え上がらせ、最終的に兄が弟をあやめてしまうというお話もあるくらいです。そうした嫉妬による行為が歴史的に人間が持つ当たり前のものとして捉え、親が公平にふたりに愛情を注ぐということを行なっていかなければいけないとあらためて考えさせられました。子どもたちの成長の中でゆっくり観察しながら見守っていきたい。

  

 もう一つここ数ヶ月の中で常に忘れずに心に留めておきたいと思えるようなことがありました。私たちが暮らす日詰の家の周りには、同じくらいの年齢の子どもたちが結構います。いわゆるご近所さんです。その中で親同士が仲が良い家もありますが、会ったら会釈するくらいであまり交流がない家もあります。ただ子どもたちはそうした親の交流とは異なり、集まって遊びたいもの。
 ある日、家族で外出して戻ってくると、近所の子どもたちが親が見守っているなかで遊んでいるところでした。私たち夫婦があまり交流がないご近所さんだったので、そのまま自宅に入ろうとしましたが、どうやら娘の緑はその輪に入りたがっている様子。その輪の中に仲の良い友人も混ざっていたことも関係していたのでしょう。それを見かねたその子が娘に寄ってきて、「一緒に遊ぼう」と声をかけてくれました。
 そこまでは良かったのですが、問題は私たち夫婦の方です。どうやらその子たちの親御さんはこれからBBQを始めるところで、その輪に私たちが入っていくことは無粋ですから、娘に戻るように説得をしてしまいました (その後に予定があったことや、娘の昼寝時間だったこともありますが)。
 結局、その場は親同士で軽く会話を交わして、その間、少しだけでも娘を他の子どもたちとふれさせようとしましたが、その距離感を察したのか、人見知りを発揮したのかわかりませんが、緑はなかなか子どもたちの輪に入って遊ぶという行動を起こしませんでした。その時は仕方がないことだと割り切って家に戻したのですが、夜、何ともいえない感情が襲ってきました。緑の遊びたいけれども、近寄れない、という姿がどうしても不憫に思えてきたのです。きっとまだ保育園に通っていない娘にとって、子どもたちの輪に入っていくのは難しい行為なのでしょう。しかも、親の事情によって、それが阻害さている可能性があるとしたら。最終的には妻と話をして、私たち夫婦も親同士のコミュニケーションを意識的にはかっていきたいねということに落ち着いたのですが、子どもを通じて、自分が子どもだったらどう思うだろうか、ということを考えざるを得ない出来事でした。
 きっと大人になってしまった私個人だけだったら流してしまいそうですが、子どもの視点に立つと、輪に入れず疎外感を感じてしまうなど、もしかしたらその後の人格形成に大きく影響を与えてしまう可能性もあります。大人はさまざな人間関係やコミュニティを選ぶことができますが、子どもは親の都合で限定的にすらなりえてしまう。だからこそ、起こった出来事はとても些細なことですが、忘れないようにここに書きとめておきます。
(文 佐々木新)

Leave a Comment