絵本「百年の家」

 「百年の家」は、絵 ロベルト・インノチェンティ、作 J.パトリック・ルイス、訳 長田弘によって制作された絵本です。講談社から出版されており、国際アンデルセン賞画家賞を受賞しています。
 本書は、勧善懲悪といったわかりやすいストーリーがありません。擬人化された家による言葉はあるものの、絵自体は主観や感傷、ドラマチックな誇張を可能な限り抑え、ひとつの家から見える情景を客観的、中立的に描写するデッドバン・スタイルのような手法で描かれていきます。
 そこには百年という時間の中で家に関わる、名もなき多くの人が現れます。ある者は畑を耕し収穫を楽しみ、ある者たちは結婚を祝い、ある者は死を悼み、ある者は戦争で負った傷を癒す。ひとりの人間ではどうすることもできない、時代という、ある時は穏やかな流れ、ある時は濁流とも言える激しい流れに翻弄され、現れては消えていきます。
 この絵本のテーマは実に多様です。人間が持つ寿命に近い年月の中で、私たちが何らかの形で(同じ形でなくとも、時にはメタファとして)体験することに光を当て、見えにくい概念をあらためて浮き彫りにさせているので、必然的にさまざまなものが溢れ出してきます。人間が生まれてから死を迎えるまでに体験する、喜びや悲しみ、不安や疑念、不信心、光や闇。きっと読み手の年齢や経験によって共感するものや浮かび上がってくるテーマが異なるでしょう。実に想像の余地が多くある、余白の多い絵本と言えるのではないかと思います。
 そうした多くのテーマが内含された「百年の家」ですが、私はと言えば、子どもがこの絵本に接触した時、どのように感じるだろうか、ということを考えました。絵本に描かれているものは、きっと子どもがこれから体験することが多いので、共感する場面が少ないでしょう。それに心弾むようなエピソードも決して多くはありません。ここに描かれているのは、むしろリアリスティックな現実社会であり、光と闇が織りなす人生そのものです。
 それでも、この絵本を子どもに読んであげたいと思うのは、表層的なことではない、いつの時代でも伝えなければいけない普遍的テーマがあるからだと思います。私の場合、それは未来に何を残すかということでした。私は自分の子どもが妻の胎内に生命を宿した時から感じ始めた、時間への解釈の変化をこの絵本を読んだ後に子どもに話してあげたいなと思いました。
 というのも、とても身勝手で恥ずかしいことですが、子どもを授かると聞かされる前の私は、自分の寿命分、約百年という単位でしか未来を見ていませんでした。それが子どもを持つという意識を持ってから、時間の単位が極端に言えば、約百六十年という時間の単位に変化していきました。もちろん、これまで考えなかった訳ではないのですが、子どもが生きる次代を、より現実的に考えるようになったのです。
 私たちはつい日常的な目の前の微視的な視点に捉われがちですが、百年という単位で、時間をある種、巨視的に俯瞰して捉えると、何を大切にしていくべきか、ということが朧げに立ちあらわれてくるように思います。子どもにしてもそれは同じで、決して短くない百年、二百年という時間を追体験して、自分なら何を大切にして生きるのかと朧げにでも考えるのは大事なことでしょう。まだ言葉が巧みではない彼らがどのようなことを感じるのか、過去から連綿と続く未来に何を残すべきかを子どもとディスカッションする為にも、ぜひ親子で体験してほしい絵本です。大人だけで未来の話をするのではなく、子どもも交えたらきっと新しい発見があるような気がします。
(文 佐々木新)

 
 

「百年の家」
絵 | ロベルト・インノチェンティ
作 | J.パトリック・ルイス
訳 | 長田弘
出版 | 講談社

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