goodbye 2021, hello 2022

 佐々木家が暮らす岩手県は、師走に入ってから雪が少しずつ降り積もってきました。散歩や公園が好きな娘の「みどり」は、外出の代わりに暖かい部屋の中で映画鑑賞をする機会が増えました。昨年までは映画に興味を抱きませんでしたが (刺激が強いのであまり映像は見せないようにしていた)、内容を理解できるようになり、あるいは、集中力が持続してきたことによって、率先して映画を観るようになっています。お気に入りの絵本も単純なストーリーからより複雑なものになっているので、興味を抱くモノやコトが急激に変化してきているのでしょうね。
 子どもの一年間の成長はとても大きい、とよく言われますが、この一年間を振り返ってみても本当にそうだなとあらためて思います。佐々木家は、今年、家族がひとり増えたので、余計にそう感じるのかもしれません。
 2021年前半はとても静かで、時の流れを含めてあらゆることがスローだった印象があります。子どもはまだみどりひとりだけだったので、わりとコントロールもしやすかった。親一年目の時よりも経験値が増えて、お昼寝の時間も夜も結構うまく立ち回わることができたような気がします。と言っても、昨年秋には第二子である息子の妊娠がわかっていたので、6月の出産までの嵐の前の静けさ、という状況をどこかで感じていました。出産の前後二ヶ月ほどは、妻の実家に娘と妻は戻っていましたので、尚更、そのような印象が強いです。そのせいか、2021年前半は子どもの成長や変化というのはゆっくり微細なものだったような気がします。
 2021年前半で忘れていけないのは、家族の一員だった愛犬が亡くなったことです。「みどり」も愛犬が好きでよくちょっかいを出して遊んでいましたが、急にその存在が失われて、家族の中にぽっかり穴が空いたような感覚がありました。愛犬はわたしが東京で生活をしていた頃、孤独なわたしの隙間を埋めてくれたパートナーのような存在でした。わたしに妻や子どもという家族ができるまで、つまり孤独が埋まるまで見届けてから去っていったのです。
 その数ヶ月後に第二子である息子「あお」が誕生します。その時は冷静に考えることはできませんでしたが、年間を通じて俯瞰すると、「生」と「死」のコントラストが明瞭にあらわれた一年と言えるかもしれません。家族がひとり遠くへ旅立って、ひとりが仲間として新たに加わった。まるでバトンタッチをしたかのようだったので、生命というものを深く考える契機になりました。わたしたちは日々、新陳代謝をし、古い細胞は死に、新しい細胞が生まれる。同じ「私」に見えて実は毎日異なる「私」を生きている。生命の循環の中、わたしたちは流れそのものであり、「私」というのはその流れの一瞬を切り取ったに過ぎないし、他者もそうなのだと。「私が私である」という意識を支えているのは記憶というものかもしれない、というふうに思考を巡らせる一年でした。
 生物はすべてこうした”流れの過程の中にある一瞬”と捉えることが増えたことで、子どもやパートナー、仕事仲間など人に接する時の心構えが少し変化したような気がします。抽象的すぎるので噛み砕いて言うと、変化していくことを恐れなくなり、他者にも「そんな時もあるよね」と考えることが多くなったということです。
 わたしは元来、束縛されない、自由でいることを大事にしていますが、家族で生活していると、どうしても自分の思惑通り、自由に振る舞うことが難しい時があります。子どもを寝かせたいけど全く寝てくれない、妻にこのように動いて欲しいけれどもそうはならない、など勝手にストレスを抱える時が多々あります。そのような時に”流れの過程の中にある一瞬”と捉えることができれば (今後は変わっていくと捉えることができれば) 、少なくとも時間が経過すれば心は少しずつ軽くなっていきます。
 なぜこのようなことを書くのかといえば、息子の「あお」が誕生してから、自分の思い通りにいくことの方が少なくなったと感じるからです(おそらく妻の方が子どもいる時間が長いので、わたしが声高に言うのは憚られるのですが)。静かでまだコントロール可能だった2021年前半から比べると、後半はコントロール不可能な混沌の世界といったことばがよく当てはまるような気がします。息子が生まれたことで姉となった娘は、注目が弟の「あお」に移り変わったことで嫉妬という感情が芽生えました。実際、行動として弟を引っ掻いたり、つねったり、叩いたり。ことばで伝えても治らないので、何度手を出しそうになったかわかりません。特に生後数ヶ月間はひどく、まさにアンコントロールな日常でした。
 また、これは現在進行形で続いていることですが、息子はなかなか甘えん坊で抱いていないと寝てくれず、夜泣きも結構な頻度で起こります。さらに同じ寝室で娘も寝ているので、泣き声に連鎖して起きてしまい、同じように大泣きしてしまう。こうした状況が一晩でも数回起こってしまうこともあるので、まさにカオスな世界です。
 ネガティブなことを多く書いてしまいましたが、決してそれだけではありません。家族が増えたこと、それぞれが成長したことで、ポジティブな幸福感を感じる瞬間も増えました。たとえば、リビングで映画鑑賞をする際は、家族がひとつに集まって温もりを感じながら同じ物語を共有することができるようになりましたし (去年までは一緒に観ることはできなかった)、食事の時間も賑やかになりました (子どもたちの話をするだけでトピックには事欠かない)。二歳となった「みどり」は多くのことばを覚えるようになったので、親子の会話がますます豊かになり、体力がついたことで一緒に出かける場所も増えてきました。生後半年の息子「あお」も表情が少しずつ増えて、微笑みも見せるようになっています。
 こうしたことが親として子どもたちと一緒にいることの大きな報酬ですね。そして、子どもたちの視点に立つことで、新しい発見や学びがあることが何にも代え難い喜びとなっています。本当に少しづつではありますが、子どもたちは確実に成長し、わたしたち夫婦も彼らに鍛えられて、共に成長をしている感覚があります。昨日と今日という短い期間ではあまり変化は感じられませんが、一年という単位で見るとそれらがよくわかります。
 きっと来年の今頃はより多くの変化を実感しているのではないかと期待しています。子育てを終えた先輩方に、「子どもはあっという間に大きくなって、自分たちの手から離れていく」、とよく聞くので、「いま、この瞬間」を2022年も楽しもうと思っています。

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