まばたき

 まだ何者にでもなれるという万能感が備わっていた幼い頃の私は、時間は永遠にあると感じていました。未来には無数の光があって、時を忘れて目の前のことに熱中できるほど眩しいほど輝いていたように記憶しています。
 それから少しずつ物事を俯瞰して捉えられるようになっていくと、効率性を考えるようになり、いつしか無駄なものを排除するようになっていきました。こうした視点がないと日本の教育では試験にパスすることはできにくくなるので、私なりに社会に適応していったのだと思います。しかし、要領が良いことは悪いことではないですが、気づくと試験にパスするためだけに特化した自分が出来上がっていて、小さな頃に好きだったこと、例えば手を動かすようなことは次第に熱中できなくなっていました。
 それに気づいたのはもう大学の二期生の終わり頃のことだった思います。その時は小さな頃望んでいた未来の自分とは全くかけ離れた道を歩んでいることを日に日に憂うようになっていった覚えがあります。それから私は手を動かす仕事をするべく奔走を始めることになるのですが、その道は予想していたより険しく、随分と遠回りをして、少しずつ熱中できることを現在取り戻している感覚があります。
 時々、まぶたを閉じて、こうした自身が辿ってきた道を振り返ってみることがあります。あの時の決断が現在にどのように繋がっているのか。そして、あの時の自分と現在の自分の距離をはかってみようとします。あれからどのくらいの時間が経過したのか、その重みを感じてみようと。大体どのような記憶でもそれはとても長いようで、とても短いものに感じます。不思議なものですね。昨日のことよりも、数年前の自分の方が近いと感じることもある。「時間」というものは考えれば考えるほどわけがわからなくなるものです。ただ、大人になって、学んだことの一つは、こうしている間にも時は刻々と過ぎていくということ。時間は有限だということです。子どもの頃のように時間を意識しないということができなくなり、「時」について考えるようになりました。
 穂村弘と酒井駒子による『まばたき』は、「時」をテーマした絵本です。ちょうちょが飛ぶとき、鳩時計が12時を告げるとき、猫が動き出すとき、角砂糖が紅茶に溶けるとき、その一瞬一瞬の美しさを絵に閉じ込めたかのような詩的な絵本。この絵本を読み、私がまず思ったことは、「時間とは何か?」と「なぜ人は作品を残そうとするのか?」ということでした。
 その問いかけが生まれた時、私は前述した、これまでの生きてきた過去のこと、つまり生きてきた時間について想いを巡らせました。過ぎ去ってしまえば時は本当に一瞬であること。その時抱いた強い感情や想いは少しずつ色褪せて、少しずつ思い出せなくなってしまうこと。だからこそ、強くある瞬間に大切だと思った感情や考えを刻みたい、とそう考えていること。私は本当に忘れやすい人間だから、これからの生命を全うする上でそんなふうに思ったのかもしれません。
 『まばたき』は、そうした「時」を閉じ込める (留める) という人間ならではの欲求を形にした側面 (ここには人間が作品をつくる意味の一つであり、絵本をつくるということの意味も含んでいると思います)と、否応なく流れていく「時」という残酷な側面を捉えた作品だと思います。しかも、意地悪と言ってもよいかもしれないような巧みな物語構成で、ラストには思いがけなかった驚きがあり、やがて焦燥も襲いかかってきます。人によっては鋭くえぐられるような痛みを伴うかもしれませんが、だからこそ、未来を後悔なく生きようと思える、ポジティブな力を授かることになるのではないでしょうか。
 子どもには少し難しいかもしれませんが、大人には芸術的な作品としておすすめした絵本です。
(書評文 | mewl 佐々木新)

 
 

『まばたき』

出版社 |‎ 岩崎書店
著書 | 穂村 弘
絵 | 酒井 駒子

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