家族のかたち – 大内家 後編

 

 大内裕史さんは、宮城県生まれ、現在は東京と岩手県陸前高田市の2拠点生活をされています。家族は、岩手県陸前高田市で暮らしており、ご本人は東京での仕事を中心とした生活をおくっています。家族が待つ陸前高田には二週間に一度のペースで戻っており、こうした暮らしは娘さんが生まれた10年ほど前から変わらず続けてきたそうです。東京から陸前高田まで、新幹線や電車、バスを乗り継いで5時間ほどかかるので、決して楽な道程ではないでしょう。
 大内さんの仕事は、東京、仙台、ロンドンに拠点を置く、ビジュアルデザインスタジオ WOW (www.w0w.co.jp) のビジュアルアートディレクター。CM、PV、インターフェースデザイン、インスタレーションなどを手がけています。私が大内さんに最初に出会ったのは、おそらくもう10年以上前のこと。お互い東北人ということもあるのか、あまり込み入った私的なことなど話したことはありませんでしたが、昨年から、私も東京と盛岡市の二拠点で仕事をするようになり、その道では10年先輩の大内さんにお話を聴く機会を窺っていました。
 取材先として訪れた陸前高田は、多くの方がご存知のように、東日本大震災によって街がほぼ壊滅した土地。あれから9年経過した今でも現在進行形として、公園や施設、住宅などが建設されています。このような復興の街で、インタビューを試みて、ぽっかり浮かび上がってきたのは、二拠点生活という側面だけではなく、甚大な災害から立ち直ろうと一歩ずつ歩む人々の営みと暮らしでした。これまで幾つかのインタビューをしてきましたが、生活をする街の背景が、顕在的に、あるいは潜在的に内容に大きく影響を与えた地も他になかったように感じます。それがあまりに大きく、なかなか言語化しにくいものなので (言葉にすると何かが逃げてしまうようで)、行間や写真を通じてその一端を皆さんに伝えたいと思っています。

 

 

東日本大震災によって大きく意識が変わったのは
どういう仕事をするかだけでなく、誰と一緒に作り上げるのか
─ 陸前高田は東日本大震災で甚大な被害を受けた土地です。震災の時、大内さんはどちらにいたのですか?
大内さん:
東日本大震災が起こった時、僕は東京で働いていて、家族は陸前高田にいました。揺れた時は何が起こったかわからなかったのですが、TVで押し寄せる津波の映像を見て、言葉にできない強い衝撃を受けたのを覚えています。すぐに連絡を取ろうとしたのですが、家族の誰とも繋がらなくて、正直もう駄目だと思いました。結局、4日後、ネット掲示板で生存者として名前を見つけて無事を確認したのですが、電話で直接話せたのは震災が起こってから1週間後のことでした。

 


奇跡の一本松

 

─ 東日本大震災が起きて、その前後で暮らし方や意識はどのように変化しましたか?
大内さん:
震災の時、娘は1歳半でまだ小さかったということもあり、おそらく一番大きく変わったのは僕自身でしょう。本当に様々なことが変わりましたが、特に仕事に対する意識の変化は大きかった。その当時、個人的に仕事のクオリティをあげなければいけないというプレッシャーを感じていた時期で、そのこともあったのか、自分がこれまでやってきた仕事など全く意味がないように思えてネガティブな感情に苛まれました。「そもそも仕事とは何だろう」や「本当に誰かのためになっている仕事なのか」というようなことを考えて、自己嫌悪に陥るような日々でした。
それから良い意味で目標というものは立てなくて良いかなと思うようになっていきました。もちろん、いまも目標が全くない訳ではありません。ただ以前よりも「いまこの瞬間のベストを尽くす」ということを大切にするようになっていったのです。
また、どういう仕事をするかだけでなく、誰と一緒に作り上げるのか、ということにも重点を置くようになりました。お金を稼ぐ仕事も大切だけれども、長い目で見て、繋がりを保てるような関係性の仕事がしたいと思い、陸前高田に根ざした仕事も受けるようになりました。

 

復興が進む街だが、幾つかの施設は震災を風化させないようにそのままの形で残している

 

─ 震災後に人と人を繋げるようなハブになっていく「りくカフェ」にも携わっていますよね。
大内さん:
これまで培ってきたことで、何か復興の役に立てることはないかと思って、りくカフェ (http://rikucafe.jp) を訪ねたのがきっかけです。ロゴなどを制作した縁で理事として携わることになり、今でもそこで知り合った人と仕事をしたり、娘も可愛がってもらっています。
他にも陸前高田では、学校も人を繋げるハブになっていますね。大人がやっているコーラスグループに子どもが参加したり、お医者さんたちで運営している劇団では子どもを受け入れてくれたり、地域の子ども会や学童でも、近くの神社に連れて行ったり。とにかく、親も子どもも優しくて素直な人が多い印象です。

 

「りくカフェ」は人を繋げるハブとなっている

 

─ 陸前高田に訪れて印象的だったのが、人ひとりに対してのコミュニケーションが優しいということです。駅で乗り換えのバスを待っていたのですが、1時間に1本くらいしか来ないし、人数も数人だからとても丁寧にひとりひとり優しく接してくれた印象があります。
大内さん:
待合室で待っていると、バスや電車がきたことを駅員がわざわざ一人ひとりに教えてくれたりしますよね。学校でも1クラス18名ほどなので、先生が一人ひとりにかける時間も必然的に多くなります。ゆったりとした教育が為されているという印象がありますね。

 

 

─ 震災後の環境で変わったことはありますか?
大内さん:
僕たちも含めて多くの家族の家が流されてしまい、仮設住宅や新居などの建設が盛んに行われていますが、子どもたちに関わることで言えば、絵本など多くの本が贈られました。その結果、公的な図書館以外にも、良質な本が読めるような場所が増えて、娘も多くの物語に触れることができたように思います。
本以外にも世界中の玩具が贈られたことは子どもにとっては喜ばしいことだったでしょうね。三陸鉄道の駅の中、集会所、子育て支援施設など、街のいたるところに遊ぶ場所が設けられて、震災で大変なことも多くありましたが、海外からの質の高い玩具で遊べるという贅沢な環境がありました。

 

家族プロジェクトとして始めた絵本「まつぼっくりちゃん ありがとうをチカラに」

 

子どもの主体性を大切にして
物語をしっかり伝えていきたい
─ 家族プロジェクトとして絵本「まつぼっくりちゃん ありがとうをチカラに」を制作していますよね。どのような想いでプロジェクトを立ち上げたのでしょうか?
大内さん:
娘がお世話になっていた親戚の叔母さんが震災で亡くなったことがきっかけでした。叔母さんに感謝を伝えることができなかったことが心残りで、せめて絵本にして届けられたらという想いです。また、世界中から多くの支援があり、僕たち家族もそれで新たな一歩を踏み出すことができたから、御礼という意味もあります。
絵本に出てくる「まつぼっくりちゃん」は娘をモデルにしています。震災前に拾われた高田松原の松ぼっくりの種が芽を出し、松原の再生に向け植樹される」というニュースから着想し、「松ぼっくりから希望の芽」と「陸前高田の希望の芽である未来を担う子供たち」にイメージを重ねて生まれたキャラクターなんです。「まつぼっくりちゃん」の歩き出す原動力は「感謝の気持ち」です。「つらく、悲しい状況にありながら、感謝の気持ちを胸に立ち上がっている人たちがいる」この絵本を読んでくれた地元の子供たちや、読み聞かせをする親御さんたちが前を向いて一歩踏み出すチカラになれたら、そして震災の風化防止に役立てば、、、という想いでプロジェクトを立ち上げました。電子書籍版では、読み聞かせの声を娘が担当しています。

 

─ 絵本という形態にした理由はありますか?
大内さん:
絵本という形にしたのは、震災を知らない次代の子どもたちに向けて伝えていきたかったから。全国500箇所くらいの図書館に寄贈したり、グッズ販売をしたその売上の一部を、陸前高田市の小中学校復興基金へ毎年寄付しています。
─ 電子書籍版では、8カ国語で展開されていますが、その中にエスペラント語が入っていることに驚きました。なぜエスペラント語を入れようと思ったのですか?
大内さん:
岩手県花巻市出身の童話作家 宮澤賢治の詩が好きで、彼の作品世界を通じてエスペラント語という存在を知りました。エスペラント語は、ルドヴィコ・ザメンホフとその弟子が考案した人工言語で、母語の異なる人々の間でのコミュニケーションを目的とする、国際補助語として開発されたものです。実際どのような言葉なのかもっと知りたいと思っていたのですが、作家の小林エリカさんがエスペラント語のクラスを開いていると聞き、実際習うことで、この言語がいかに美しいかを学びました。
絵本プロジェクトでは、世界中からの支援に対する感謝という側面もあり、多言語で展開したいと思っていたので、エスペラント語は、母語以外の共通言語を作るという思想も好きだったし、理念としてもマッチすると考えたのです。
このプロジェクトを通じて、普段触れ会えない人とも繋がるようになり、一つのチャネルだけでは得られない、多様な生き方の可能性に触れたような気がします。

 


震災で亡くなった方への追悼・祈念の為の施設「海を望む場」

 

─ 本来、人は生まれながらにして様々なチャネルを(可能性の扉と言い換えても良いかもしれませんが)多く持っているものだと思っています。自分の新たな側面を発見できるような扉。こうした自分探しができる扉は子どもだけではなく、大人も常に探し続けるものだと個人的には考えていて、こういうことを子どもにも体感させてあげたいなと感じています。
大内さん:
子どもにとっては、礎となる安定と繰り返しという部分は大切ですから、常に開かれている状態を薦めるには適切なタイミングというものが必要かもしれません。そのような意味でも、子ども自身の主体性を大切にするようにしています。

 



 

─ お話を聴いていて、子どもの主体性をとても重じる姿勢を感じます。他にも親として大事にしていることはありますか?
大内さん:
前述しましたが、なるべく子どもが求める環境を叶えてあげることでしょうか。
それから、多くの人はこう言っているけれども、一方ではこういう見方もできるよ、というような子どもでは思いつかない可能性を伝えてあげるようにしています。逆に娘からされることもありますが 笑 あの時は上手く言葉にできなかったけれども、こういうことを伝えたかった、とか急に娘に言われるのです。こんなふうに子どもから学ぶことも多いですね。

 

大内家でお気に入りのスイス製のキュボロは、大人でも非常に頭を使う玩具

 

─ 娘さんとのエピソードを教えてもらえますか。
大内さん:
僕専用のへアカット・メニューがあります。これは小さな頃から娘にはたまにしか会えないので、思い出作りと言う建前の元、彼女が自由に僕の髪を切って遊ぶ為のメニューです。僕は髪が伸びるのが結構早くて、ヘアサロン代も馬鹿にならないので、切ってもらっても良いかなと。子ども用の髪を切る人形があるじゃないですか、あれのリアル版ですよね 笑
あと、このヘアカットには自分の殻を破るということもありました。自分をよく見せようという、想いを断ち切るような。それから、ヘアカットを任せるということは、娘に対して、「あなたを信頼していますよ」というメッセージにもなる。父の覚悟を見せるような 笑 クリエティブワークをやる人間として、これくらいやらなければというような覚悟でもある。ちなみにクライアントさんとの打ち合わせ先に、その髪型で参加して話題になったこともあります 笑

 

 

─ 最後にこれから娘さんとやってみたいことはありますか?
大内さん:
いくら表面的に良さそうなものを作っていても、その内容として良質な物語が伴っていなければ駄目な時代に入ってきているな、と感じています。これまで僕も即興で物語を作って聴かせたりしてきましたが、どうしても限界があるので落語でも学んで、演じて聴かせたいと思い始めています。
娘の進路など先のことはまだわかりませんが、二拠点生活で僕が学んだことを通じて、大切なことを伝えていけたら良いですね。

 

 
 

絵本 「まつぼっくりちゃん ありがとうをチカラに」
単行本
https://www.amazon.co.jp/dp/4990727304/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_ j9-hEbRWDRA3C
Apple Books 版
https://books.apple.com/jp/author/arigatou-rikuzentakata-project/id1238028080
Kindle 版
https://www.amazon.co.jp/dp/B0735937ZK/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_H9-hEbXHWNBZY

 

 

聞き手 : 佐々木新 aratasasaki.com
写真 : 井手勇貴 www.yukiide.com
取材協力:りくカフェ rikucafe.jp
>「家族のかたち」シリーズはこちら

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