わたしたちの家族会議 VOL.1 前編 – 子どもの誕生会を考える


 

 わたしたちの家族は二ヶ月に一度くらいのペースで家族会議を行います。定期的な開催日程が決まっているわけではないのですが、何かの記念日などの節目、あるいはのっぴきならない問題が起こると、娘のみどりを寝かしつけてからディスカッションが始まります。今回は娘のみどりが一歳を迎えたということもあり、こどもの誕生会について考えたこと、この一年を通して感じた子育てにおける気づきを話したのでそれらを記事にしてみました。

 

子どもがこの世界で健康に
生きていることを祝福するために
佐々木新 (A): みどりの一歳のお祝いに友人たちを招いて、誕生会を開こうかと迷ったけれども結局はやらかったね。こうした判断を下したことに後悔はない?
佐々木桜子 (S): うん。誰かを招いて盛大に誕生会をすること自体を否定する訳ではないのだけど、今回、生まれてから初めてのみどりの誕生日だったこともあって、何を大切にするべきかをしっかり考えたかった。わたしたち夫婦が本当に望んでいるのは、みどりが生まれてきてくれたことへの感謝と、一年ここまでよく食いしん坊として育ってくれたということへの感謝だから。そこがブレるのは避けたかった。
A: 確かにみどりは本当に食いしん坊に育ったよね。良く寝るし、病気もなく、すこぶる健康体な女の子だ。
S: 少し心配だったのは肌荒れくらい。よく親御さんが子どもの健康が一番という言うけれども、親になって本当にそう感じる。
A: 話を戻すけれども、誕生会で人をたくさん呼んでしまうと、結局、子どもそっちのけで親が楽しんでしまうことも多く、そのような事態は避けたいという想いもあったよね。もしかしたら、子どもがもう少し大きくなったら状況が全然変わってくる可能性はあるけど。
S: 1歳くらいだと、そもそもお昼寝の時間もあるから、他の子どもと一緒に遊ぶ時間は限られているし、それにみんなを合わせるというのは申し訳ない感じもする。
A: もちろん、周囲の人から「おめでとう」と言われたり、プレゼント貰うことに関しては単純に親として嬉しいことだけどね。いずれにせよ、今回は誕生会は開かずに僕の父親に誘われて、僕が小さな頃に通っていた教会に行って祝福をしてもらったわけだけど、どんな印象だった? みどりはもちろんのこと、桜子も初めてだったでしょ。
S: 教会に来ていた人々からしたらみどりは会ったことのない子どもだったにも関わらず、みんなが喜んで誕生日を祝ってくれたのは新鮮だったし、何だか不思議な感じがした。新さんは幼少期の頃行ったことがあったかもしれないけど、わたしとみどりは初めてだったから。上手く言葉にできないけど、そのお祝いの根底には慈しみがあって、だからこそ心から祝福されたような心持ちになった。

 

 

A: 僕はもう日曜日に教会に行く習慣はなくなったのだけど、生まれてから小学校高学年くらいまでは両親に連れられて教会に通っていたから、そういった行為に違和感は全然ないんだよね。むしろ知らない人でも隣人として祝福するという態度は普通の感覚としてある。でも、そう言われると、確かに初めての人は驚くかもしれない。
S: 慈悲という言葉が正しいのかわからないけど、よくある誕生パーティという感覚はなかった。よく生まれてからここまで健康に成長してくれた、この世界に生きていること、存在していることを心の底から祝福してくれるような感覚に近いかもしれない。
A: プレゼントを貰うとか、物質的なものがなかったからこそ良かったのかもしれないね。存在自体を肯定してくれるような、ささやかなお祝いという感じ。

 

 

S: 新さんが小さな頃に通っていた教会だったから知っている人が大勢いて、あの小さかった子どもが大人になって自分の子どもを連れてきたことに対しての喜びもあったような気がする。新さんの実家に近いというか、もうひとつの実家に行ってその人たちに温かく迎え入れられたような感覚かな。
A: みどりの今後の誕生会はどうなっていくだろう?
S: ベースは変わらないと思う。みどりが少し大きくなって友人としっかりコミュニケーションをとれたら誰かを呼ぶこともあるかもしれないけど、わたしたちの気持ちとしては、みどりがこの世界で無事に生きていること、彼女の健康をお祈りして、感謝することは変わらないと思う。未だ言葉がわからなくても、この日だけはしっかりそのことを言葉にして伝えたい。

 

 

(後編に続く)

Leave a Comment